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コラム もういっぺん、作ってみようや! vol.7 職人の勘と技術 もういっぺん、作ってみようや! 岡野工業株式会社

コラム
 

ドイツの解説書の絵で最新技術を学んだ

 
 オヤジは図面なんか描かなかったから、おれも昔から図面は描かなかった。プレス屋の図面を見て、工場の土間に白墨(チョーク) で金型づくりの工程を描くんだよ。そのうち、品物の図面を見ればどういう工程で金型を作ればいいか頭に浮かぶようになった。図面を描かないから、感性で想像して、頭の中で図面にしていく力が身についてしまったのさ。
 技術を学ぶのは全部オヤジからだった。だから、学ぶことがなくなっちまったら頭打ちになるんじゃないかといつも不安だったよ。オヤジだっていつまでも生きているわけじゃないしな。そこで、生涯の恩師ともいうべき友だちのお爺さんに相談に行ったんだ。「もうオヤジに教わることがない。よその会社に入って、苦労して技術を覚えたい」―― そう言ったら、こう諭されたよ。
 
 「岡野君、苦労なんて自分から求めてするものではないんだよ。黙っていたってむこうからやってくるものなんだ。新しいことを学びたかったら、本を読みなさい。どんな偉い学者だって、みんな本を読んで勉強しているんだよ。日本橋の丸善に行けば、役に立つ洋書があるよ。それを買って勉強しなさい」
 
 「洋書といったって、おれ、英語も読めないのに」 と言ったら、「技術書にはイラストと図面が載っているよ。きみは職人なんだから、それを見ればわかるだろう。絵を見て覚えればいいんだよ」 と教えてくれた。
 それでおれは丸善に出かけていった。ドイツ語のプレス技術の解説書があったよ。イラストもいっぱい載ってる 『Schnitt-, Stanz- und Zieh-werkzeuge』 という本で、なんと1万2500円もしたんだ。昭和40年頃の、公務員の初任給が2万何千円の頃だぜ。目の玉が飛び出るほど高かったけれど、とにかく 「これだ」 と、思い切って買ってきた。
 当時のドイツのプレス技術は日本より進んでいて、中でも目からウロコだったのが 「冷間鍛造 (れいかんたんぞう)」 っていう先進のプレス加工技術だった。
 鍛造には熱を加える 「熱間鍛造」 と常温のまま加工する 「冷間鍛造」 がある。冷間鍛造でやると、アルミニウムでも鉄の塊でも、一つの工程で一瞬にしてプレスできてしまうんだ。それまでは何個もの金型を作って10工程以上をかけて延ばして作っていたから、本当にビックリしたよ。
 
 

プレスのカギを握るのは潤滑剤の油だった

 
 そこから、冷間鍛造をものにするため、昼の仕事が終わると、プレス機の先っぽに試作した金型をつけて 「ああでもない、こうでもない」 と格闘する日が始まった。1年もやり続けたんだけどうまくいかない。板が、本に書いてあるように延びなくて、焼き切れちまうんだ。
 本当にできるんだろうか‥‥。疑いはじめた頃、金属のスクラップをやっている友人が、お得意先でアルミを型に入れて一瞬で叩き出している光景を見たと教えてくれた。ドイツと技術提携している会社らしい。それでおれは友人に頼み込んで、その工場に連れていってもらうことにした。彼と同じ仕事着を着てね。
 作業場に入ると、本当だった。おれが1年間やってきたことと大した違いはなさそうなのに、パンと叩いて一瞬で打ち出してるんだ。
 おれのとどこが違うんだ‥‥。いろいろ考えて、どうやらプレスのカギを握るのは潤滑剤の油だっていうことに気がついた。冷間鍛造では熱間鍛造よりもずっと強い圧力を金属にかけるから、潤滑剤がしっかりしないと、金属板と金型との摩擦力で金属がすり切れちまうんだ。潤滑剤つまり油に秘密があると気づいたわけさ。
 といっても、「油をください」 なんて頼むわけにはいかない。だからおれはお昼時を待って、工場の職人さんに 「自転車のチェーンが錆びついて困ってるんだ」 と声をかけた。すると、「そこの油を付けておいたら」 と言ってくれた。「しめた」 と手で掬って、もらって帰ってきた。ドキドキしながら金型に付けてやってみたら、トンと延びて成功した。1年間、何回やってもダメだったことがだよ。「やっぱり油だったんだ!」 って、思わず手を叩いたね。
 
 

潤滑剤の開発に人一倍こだわった

 
 これには後日談がある。そのずっと後になって、講演会でその話をしたら、その会社の人が偶然来ていてね(笑)。こう言われたよ。
 
 「うちは提携先のドイツの会社のものを使っていたんだけど、岡野さんは、カギは潤滑剤の油にあると目をつけて、自分なりの油を開発しようとしたんだね。その執念がすごいね」
 
 あの時は、黙って盗んだわけじゃないし、もらってきた油をそのまま使ったわけでもない。油の工夫がプレスを左右するっていう事実を教わったんだよ。それからは潤滑剤に人一倍こだわって、数えきれないほどの油を試してみたな。スイスまで行って油を買いつけてきて、自分なりにブレンドしたり、石鹸を混ぜてみたり、ひまし油を混ぜたりしながら、どういうものを作るときにはどんな油がいいか、ずいぶん試行錯誤を重ねたんだ。
 潤滑剤のブレンドは、プレス機を動かす際のソフトウェアそのものといっていい。潤滑剤によって、1分間でプレスできる回数が大きく変わったりするからね。そんなふうに培ってきたノウハウがあるから、いまは潤滑剤だけをうちに買い求めに来るお客さんもいるほどだよ。自動機のプラント一式を売るときに、金型とプレス機とそのプラントに最適の潤滑剤をセットにして売れるまでになったというわけさ。
 
 

勘や技術は試行錯誤によって養われる

 
 オヤジの頃から、ここ向島の地場産業といえば、化粧品、ライター、文房具の三つが中心だった。昭和40年代の終わり頃、おれは深絞りでライターや口紅ケースを作っていた。硬いステンレス板を、いくつか工程をかけて徐々に押し込んで、底の深いケースに加工していくんだ。ほんの少しの違いで完成品にも不良品にもなる。「気持ち、もう少し薄く」 なんていう、人の手の感覚でしかわからない微妙なアナログの調整をしないと完成できないんだ。潤滑剤も同じだ。油のベタベタ具合が工程に微妙に影響する。油にも、まさに 「気持ちこのぐらい」 といった世界があるんだよ。
 1980年代後半に、リチウムイオン電池を開発していた旭化成から 「電解液が漏れないステンレスのケースを作ってほしい」 と言われたとき、ライターケースのノウハウが生かせるなと直感した。このケースは、ステンレスの板を100分の1ミリ単位の精密加工で絞っていって、厚さ0.4ミリ以下に仕上げるっていう難物だった。それも1年半以上かかって完成したんだが、成功の裏には、人の手による微調整に加えて、改良に改良を重ねてきた潤滑剤のノウハウがあった。長い間かけて独自のブレンドのノウハウを蓄積してきたことがそこで生きたんだ。
 勘や技術なんていうものは、漫然と作業をしているだけじゃ養えない。無数の失敗を重ねながら、それこそ血のにじむような試行錯誤を繰り返すことによって養えるということなんだな。
 
 
 次回は、御歳79才になったってのに、なぜ次々と新しい発想が生まれてくるかについて話そう。皆にはまだまだ先のことだろうが、聞いといて損はないぞ(笑)。
 
 
 
 もういっぺん、作ってみようや! ~町工場最強オヤジ!岡野雅行の直言~第7回 

 執筆者プロフィール  

岡野雅行 Masayuki Okano

岡野工業株式会社 代表社員

 経 歴  

岡野工業株式会社代表社員。十代初めから、実父が営んでいた岡野金型製作所で職人修業を開始。勤勉に仕事にいそしむかたわら遊び仲間も多く、仕事と遊びの双方で「向島の岡野雅行」の名を上げ始める。1972年、製作所を引き継ぐと 「岡野工業」 と社名を変更。金型だけでなくプレスも導入し、高い技術力を持って大手との取引が増え始める。インシュリン用の注射針で主流になっている「ナノパス33」をはじめ、ソニー製ウォークマンのガム型電池ケース、携帯電話のリチウムバッテリーケース、トヨタプリウスのバッテリーケースなど、世界的な躍進を遂げた製品はどれも岡野工業製作の部品が支えているとすら言われている。

 
 
 
 

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