34年ぶりの再会

「あーーー!!!」って、2人して叫んだよね。ビックリだよ。私が18歳の時に半年だけ東京の専門学校で勉強した時の親友、公文(くもん)だったんだ。
当時、公文は金沢から上京してきた美容師見習い。私は新聞販売店に住み込みで働く新聞奨学生。彼が修業している美容室が私の販売店の隣にあって、私はまだ友達もいないし、朝早くから深夜遅くまで毎日残って働いている、彼のその姿が気になっていた。彼のほうも私のことを、新聞奨学生にしちゃ怖いのがいるなと思って気にしてたらしい。そりゃそうだ、文京区本駒込の販売店だから、他の奨学生はみんな東京大学とか東京外語大学等々の学生ばかりだったからね。それでどっちからともなく話しかけたら、話が合ったんだよ。職場で底辺の扱いをされてることも、元不良少年なところも共通だったし(笑)。それからは2人でよく遊んだ。一緒に歌舞伎町のディスコにも行ったなあ。「公文ちゃん」「勝っちゃん」って呼びあってつるんでた。
でも半年後、彼が私に怒ったの。本気で。当時の私は働くのは嫌い、なりたい職業もない、夢ももちろんない、ただただ毎日遊んでいたいだけ、すさんだ人間だった。美容師を目指して一所懸命努力している彼にしたらムカつくよね。「オマエはおかしい! 仕事とはそういうもんじゃない!」って、同じ歳の友達に本気で叱られたのは初めてだった。私は彼に叱られたまま栃木に帰り、その感じを胸のどこかにしまって、実家のカメラ店を手伝いはじめた。私が自分なりに真剣に働くようになったのは、彼に叱られたのが一つのきっかけなんです。
“これから”の友達になろう
金沢駅のエスカレーターで34年ぶりに再会した――厳密に言うと徳光和夫さんのテレビ番組の企画で2008年に1回だけ会ったけどね――その次の日、2人とも急遽予定を調整して時間をつくり、いろんな話をした。あれからどうしてた、今どんなふうだ、あの時あんなことしたなぁ・・・って。それがまた、彼は私の記憶と違うところをよく憶えてるんだよ。
で、最後別れ際に私から言った。「昔話はこれっきりだ。昔懐かしい友達だったら年に一度か10年に一度でも逢えばいいじゃないか。今日からは“これから”の友達になろう。じゃないと俺、お前と会えないよ」って。2人とももう50過ぎだ。次のステージに行かなきゃいけないタイミングだ。せっかく再会したのなら、一緒に未来を思い描く友達にならなきゃね。
だってさ、思っているとそうなる部分はあるんだよ。念が通じるのかなんなのか知らんけど。今回だってたまたま私が9日に東京で仕事で、10日は朝早く羽田発の便で宮崎に発つから9日はそのまま都内に泊まるつもりで、今月一週目にホテルを探してたの。その時ふと、“本駒込辺りにしようかな。それで夜は近くの居酒屋で酒でも飲んで、30数年ぶりの本駒込で18歳の頃を懐かしんでみようかなぁ”と思ったの。公文も公文で、同じく今月一週目に栃木出身のお客が偶然来て、「栃木と言えばサトカメでしょ。私、古い友達なんですよ」みたいな話をしたらしい。そしたら翌週にバッタリ再会だもん。不思議だよね~。
中国進出への鳥羽口で助けてくれた人
未来を思うことで道が開けたという意味では、富山勝人塾事務局の澤田さんも、私にとって未来につながる縁を結んでくれた人物の1人です。最初は確か、澤田さんが私の本を読んでサトーカメラを見に来てくれたんだ。当時は彼もカメラ店の経営者だったからね。その時にすごいショックを受けたらしい。それで自分の店を業態替えしてフォトスタジオ+写真店に転身したという。あれが2012年だったと思う。
そんなふうに付き合いが始まり、講演で呼ばれて私が富山に行った時、彼の先輩で、中国で仕事をされている方がいた。当時私もちょうど中国への進出を構想中で、でも具体的に何から始めればいいかわからなかった。そのことを彼の先輩に話したら、「一度中国の私の事務所に来ませんか」という話になり、その場で旅程を決めた。隣りにいた澤田さんも一緒に行くことになって、後日一緒に中国に渡り、大歓迎されたんだけど・・・。
すごいんだよ、中国の歓待は(笑)。私たち3人に対してビールは2ケース、ワインも1ケース、それに現地の宴席で欠かせない白酒(バイチュウ)もうなるほどある。向こうは商談でもなんでも飲んで関係を確かめあう国柄だから、出された酒は飲まなきゃならない。残したら相手のメンツをつぶすことになる。でも私にしたらそんなの、無神経な無理強いでしかない。だから途中でブチ切れちゃってね。そしたら澤田さんが「僕が飲みます!」って立ち上がって、酒なんか一滴も飲めない男なのにキューっと白酒を空けて、そのまま倒れちゃった。すごい人だよね。おかげでその場はそれで丸く収まったわけで。
それ以来だ。彼のことをもっと尊敬するようになった。もともと考えのしっかりした人だし、私より一回り以上年下だけど、いいことを言うんだよ。だからいつも勉強させてもらっている。彼は彼で私から勉強の仕方というものを学んだと言ってくれる。また、普通コンサルタントは「先生」と呼ばれれば嬉しがってなおさら先生ヅラをしたがるものだけど、私はむしろ「先生なんて呼ぶな! 対等だ! 一緒にやろうぜ」っていうタイプだから、彼はそれが嬉しいらしい。今も富山に行くと必ず会う友達であり、私にとっては、中国進出への鳥羽口で文字通り体を張って助けてくれた恩人でもある。
金沢の公文さん、富山の澤田さん。他にも全国各地で勝人塾事務局を快く引き受けてくださっている、新潟の小熊さん、岐阜の加納さん、山口の前田さん、大阪の稲原さん、奈良の村上さん、和歌山の藤原さん、宮崎の阿萬さん、青森の中野さん、北海道の本田さん、栃木の岩井さん等々、勝人塾事務局だけだって話し始めたらキリないが、こうやっていい友達に恵まれたのは、「あの時代」とか「あの日、あの瞬間」を胸に刻みながらも、過去じゃなく未来を常に思い描いてきたからだと思う。
まだまだ、これからも、ずっと前を向いて走っていくよ。ヨロシク!
vol.4 再会はいつも未来形
著者プロフィール
佐藤 勝人 Katsuhito Sato
サトーカメラ株式会社・代表取締役専務/佐藤商貿(上海)有限公司・総経理/日本販売促進研究所・経営コンサルタント/作新学院大学・客員教授
経 歴
1964年栃木県宇都宮市生まれ。1988年、兄弟とともに家業のカメラ店をカメラ専門チェーン店に業態転換させ、商圏をあえて栃木県内に絞ることにより、大手に負けない経営の差別化を図った。以来、「想い出をキレイに一生残すために」というコンセプトを追求し続けて県内に18店舗を展開。同時におちこぼれ社員たちを再生させる手腕にも評価が高まり、全国から経営者や幹部リーダーたちが同社を視察に訪れている。2015年からはキャノン中国とコンサルティング契約を結び、現場の人材育成の指導にあたる。主な著書に『売れない時代はチラシで売れ』『エキサイティングに売れ』(以上同文館出版)『日本でいちばん楽しそうな社員たち』(アスコム)『一点集中で中小店は必ず勝てる』(商業界)など。最新刊『断トツに勝つ人の地域一番化戦略』(商業界)が好評発売中。
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