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 映画は喧嘩や。ビジネスもそうやないんかい ―― 映画監督・井筒和幸が私的映画論にからめて、毎回一つのキーワードを投げかける。第4回は 『ブリット』(68年・アメリカ)から、“何でも自分でやる”。
 
 
 仕事でも遊びでも “人任せ” ばっかり。都合のいい時だけ自分の手柄にして、都合が悪くなれば言い訳ばっかり。ボクの映画の現場でそんなことが皆に知れたら、すぐにクビだわ。新作 『黄金を抱いて翔べ』 でも助監督が一人、途中で消えて去った。自分の役目を徹底して最後までキッチリとやれないうえに、スタッフやエキストラの女子を誘って合コンまでしようとしていたので、すぐにお引き取り願った。目に余るとはこのことだが、また、今回も衰え知らずな伝説の映画を紹介したい。
 
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『ブリット(1枚組)』 1968年・アメリカ
DVD発売 ワーナー・ホーム・ビデオ
(税込¥1,500)
 CG万能時代に入って久しい。どんな無理難題な描写でも大抵、CGで処理をして画を足したり消したりすると、それらしく見える。今の俳優たちは、危険シーンに億劫だから自分の肉体で挑戦しなくなった。16才の頃、ガールフレンドと見に行ったのが、この 『ブリット』 ってヤツだ。
 刑事のブリットはカーチェイスもやってのけた。それが売り物の一つだった。でも、こっちは後になって後悔しきり、決してデートムービーではなかった。男が同居する恋人に何の気遣いもしないで、昼も夜もシンジケートの悪党を追いかけまわして朝帰りするだけの、ボクにはカッコいい話だったが、思春期の相手には無礼千万、不遜な男性映画だったらしく、映画の中の大人の二人はまた朝のベットで仲直りした様子だったが、ボクら二人は手を繋いだだけで、やがて自然消滅した。今は懐かしい。
 そして、刑事ブリットを演じたスティーブ・マックイーンが今も憎たらしい。カッコ良すぎる名優マックが扮したブリットも確かに仕事の鬼だったし、マックもその売り物のカーチェイスまでスタントマンを使わず自らの手で完璧にこなした。元々、もっと昔の 『大脱走』 の仕事の時から、マックがオートバイのジャンプ撮影でスタントマンに替わられたのを悔しがった逸話まであり、カーレースの趣味も一流だったので、ブリット役を得た時は他を寄せ付けることなく、自分でやり遂げた。ロケ地のサンフランシスコの坂の通りでの追跡テクニックは凄みを効かせ、観る者を圧倒した。急勾配の坂道から大通りに躍り出るムスタングGTのタイヤを路面に焦げ付くまでに軋ませて、ハイウェイを高速走行した。横から並走してマックの形相を撮るキャメラマンも必死だった。世界のマックファンはそれを記憶に刻んだ。多分、マックが今を生きてたら、CG画でゴマかすことなど絶対拒否しただろうな。「ふざけんな! 俳優をなめんじゃねえぞ! オレが自分でやるから!」 と。あの凄まじいムスタングの助手席にキャメラマンも同席してキャメラをどんな具合に構えていたか。悲鳴を上げる暇さえなかったはずだ。映画館の、隣り席のその女子は声も上げられないまま身体を硬直させたまま背を丸めて、俯いていた。フリーウェイのガードレールすれすれに走ってくるショットが画像に残っている。待ち構えて設置したキャメラボディーに、逃げて向かってきたダッジチャージャー440のほうのボディーがガーンと擦っている。
 今、そんな本物の画作りもなくなった。だから女の子を映画に誘っても、身をこわばらせて悲鳴を上げてくれることは滅多にない。皆さん、静かに眺めてらっしゃるだけ。以前、『パールハーバー』 という真珠湾攻撃の戦争モノで、日本軍のゼロ戦かがアメリカ軍の艦の甲板に構えたキャメラの向こうから眼前に、火だるまになって突っこんできても、観客は叫び声ひとつ上げなかった。人間の眼は、瞬時にしてCGと本物を見分ける能力がある。「これは、確かに “らしい” けれど実像じゃなく虚像だ」 とすぐに判断する。人の眼はなかなか大したものだ。
 
 ごまかしのきかない映画も、基本はだから手作り。何でも自分たちが命懸けでやってみる、それが仕事だ。無器用なスタッフが出来もしないのにやらされるのは困ったものだが、やってのけられる人が全力でやるのだ。会社で、人に任せているだけの上司さんも、この際、ブリットでも見て、仕事を初めてやり出した頃に戻ってみたらどうかな。任せる部下などいなかった頃を思い出して。
 
 
 あまりにCGやデジタルに頼るだけの世の中、今回は、名優マックが 「自分で運転まで全部こなした映画」 を取上げました。何か仕事のヒントになればと。もう映画館で見られない逸品はいっぱいあるし、秋の夜長を惜しみなく。
 
 
 

 執筆者プロフィール  

井筒和幸 (Kazuyuki Izutsu)

映画監督

 経 歴  

1952年、奈良県生まれ。県立奈良高校在学中から映画制作を始め、1975年、高校時代の仲間とピンク映画『行く行くマイトガイ・性春の悶々』を製作、監督デビュー。1981年『ガキ帝国』で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降『みゆき』(83年)『晴れ、ときどき殺人』(84年)『二代目はクリスチャン』(85年) 『犬死にせしもの』(86年)『宇宙の法則』(90年)『突然炎のごとく』(94年)『岸和田少年愚連隊』(96年/ブルーリボン最優秀作品賞を受賞) 『のど自慢』(98年) 『ビッグ・ショー!ハワイに唄えば』(99年) 『ゲロッパ!』(03年) 『パッチギ!』(04年)では、05年度ブルーリボン最優秀作品賞他、多数の映画賞を総なめ獲得。『パッチギ!LOVE&PEACE』(07年) 『TO THE FUTURE』(08年) 『ヒーローショー』(10年)など、様々な社会派エンターテインメント作品を作り続けている。

 
 
 
 

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