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評者のとぼしい映画体験からは、2001年の『少林サッカー』(監督:周星馳)はあの時代の中国の社会の雰囲気を活写した、私的映画史上5本指に入る傑作です。
 
ほんの数年前まで現金収入は自給自足に毛が生えたぐらいの暮らしぶりだった中国が、改革・解放路線で「経済の発展」という現代的な“魔”を知り、それによって市井の人々が自己像を描く際の感覚が目覚めさせられ、いっぽうで社会には旧来の感覚が残っている。だから人々は頓珍漢なこともするし、出来事は頓珍漢にもなるし、でも双方が純度100%のキラキラだから、全部ひっくるめて愛するしかない――。つまり一言でいえば「国としての思春期」が、見事に定着された映画だと思うのです。
 
「そうだよ、日本もこうだったよ、こんな時期があったよ・・・」と、阿星(シン)と阿梅(ムイ)、特に阿梅の変化に熱くなるまぶたを掌で押さえたあの感覚が、本書を読みながら蘇ってきました。
 
しかし、この読み方はおそらく、本書が狙う読まれ方からは外れています。著者の小島道一氏は日本貿易振興機構アジア経済研究所で1999年頃から国際リサイクルの研究を始め、経産省や環境省でも廃棄物の管理及び輸出入規制の専門家として委員を歴任し、2004年からは有害廃棄物の越境移動を規制するバーゼル条約の締約国会議にも参加し、この春からインドネシア・ジャカルタの東アジア・アセアン経済研究センターに出向している人物。
 
本書は著者が長年の現地調査で得た情報と各国の貿易統計等をもとに、さまざまな品目の事例から国際リサイクルの現状と問題点を紹介し、ひいては日本国内のリサイクルをどう考えればよいかを論じ、今後の国際リサイクルの方向性についても見通しを示す一冊。「日本もこうだった・・・」に直接通じる話は第2章第3節第3項の「鉄スクラップの輸入国だった日本」にあるぐらいです。
 
でも、具体的な廃棄物ごとに現状および問題点と各国の関わりを描く前半3章は特に、それぞれの国の戦後史を思わせる要素が随所に出てきて、敗戦側から出てアジアで最初に経済発展を遂げた国の読者としては、本書を単に廃棄物について書いた本と読むのは違うと思わせられます。
 
欧米列強が戦勝国の論理で世界の貿易秩序をつくり、先進国の都合をアジア・アフリカ地域の後進国に押し付けてきたこと、それをある程度は受け入れて経済発展を遂げたいっぽうで払う犠牲も大きかった国々が、特にアジアには少なくないこと。時に日本もその片棒を担いだこと。私たちの立ち位置からは、それらのことを内容の背景に読み取るべきだと感じるのです。
 
以下、章と節のタイトルを初めの2章ぶんだけ書き出します。
 
第1章 国境を越えてリユースされる中古品
 1 家電製品――低所得者層の生活を豊かに
 2 自動車・自動車部品――信頼される日本の中古車
 3 農業機械・建設機械・工作機械――生産能力を上げる
 4 タイヤ――中古タイヤと更生タイヤ
 5 再製造による国際リユース
 6 中古品が国際貿易される理由
第2章 国境を越えてリサイクルされる再生資源
 1 廃プラスチック――世界中から中国へ、中国から世界へ
 2 古紙――評価される日本の品質管理
 3 鉄スクラップ――輸入国から輸出国へ
 4 石炭灰――供給過剰の東アジア
 5 貴金属スクラップ
 6 再生資源貿易の背景
 
アジアに渡って低所得者層の生活を豊かにした家電品には日本製が多く、道路の舗装状態が良い日本で走った中古車は傷みが少ないので信頼されています。建設重機や設備系の工作機械は単価が高く、後進国はなかなか新品を買えませんが、2000年代以降、日本製の中古品や再製造品がそれらの国で稼働してインフラを育てるのに役立ちました。
 
これを言うのはなにも恩を着せたいからではなく、例えば第2章第3節「鉄スクラップ――輸入国から輸出国へ」では、1984年までは日本が世界最大の鉄スクラップ輸入国だったことが書かれています。建築物などの社会インフラを筆頭に、経済が発展する段階ではどの国も大量に鉄を欲します。そう思うと、もしいま日本がアジア諸国に向けて先輩ヅラをしたり、アジアから来た在留者たちを見下したりするとしたら、それこそお里が知れる所業です。自分たちもかつては同じだったことを忘れてはいけません。
 
そしてまた、中古品や再生資源がそれらの国に入ることを貢献面だけでとらえるのも間違いです。第3章では、中古品や再生資源の輸出が輸入国側の製造業の発展を阻害する可能性があるという問題や、環境汚染の問題が言及されます。
 
中古品でまかないすぎると自前の製造業が育たなくなるのは予想できますが、他にも、実際には使えない中古品が輸出されていたり、輸入側が直して使うつもりが修理しきれず廃棄したりする例が多々あるよう。また再生資源のほうでは、自国で資源を回収するよりも輸入したほうが安くつく場合、あるいは、輸入ものの再生資源のほうが業者が受け取れる処理費の額が良い場合には、国内の資源は再生処理に回らず廃棄されます。これなどは経済原則がからむので是正しにくい問題でしょう。つくづく、部分最適と全体最適は違うのです。
 
経済のグローバル化に伴いサプライチェーンがグローバル化しました。供給がグローバル化したということは廃棄もグローバル化していると考えるのが妥当です。ただ、廃棄物の話はそのままでは華がありませんし、リスクの分担をどうするかというネガティブな議論も出てきます。実際に第3章の環境汚染についての節では、輸入側が再生処理や最終処分の処置を適切にできない、もしくはしていないことを承知で輸出する輸出側のモラルの問題が指摘されています。
 
大量生産・大量消費の経済モデルで社会を成り立たせる以上、廃棄は必ず向き合うことになるテーマです。だからこそ、リスクの分担をどうするかの議論でさえ、ネガティブなだけではない重要な意義を持つ。リサイクル技術の開発や健全なリユースの促進にいたってはなおさらです。サプライチェーンと同じようには陽が当たってこなかった廃棄のグローバル化。そこに光を当てようとした一冊。お勧めです。
 
(ライター 筒井秀礼)
『リサイクルと世界経済 貿易と環境保護は両立できるか』
著者 小島道一
中央公論新社
2018/5/25 発行
ISBN 9784121024893
価格 本体820円
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(2018.6.13)
 
 
 

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