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vol.5 1994年3月 デイトナを、2ラップ

 
 

新生エリオン・レーシングでの初陣

 
 デイトナウィークは、練習走行から含めると2週間にわたってレースはもちろん、バイクに関するありとあらゆるイベントがひっきりなしに開催される、さながら「バイク万博」とでもいうようなイベントだ。
 多くのレースファンの前で、何度も、何度も走るチャンスがあるこのイベントに、トップチームから出場することは、武者震いが出るほどに素晴らしいことに思えた。1時間でも、1分でも・・・何を置いても早く走り出したい・・・そんな幼少時代の遠足前日にも似た私の気持ちとは裏腹に、チームはあくまでも鷹揚と構えながら、アメリカ流の準備を貫く。
 
 カリフォルニアからフロリダまでのおよそ4,000kmをチームとともに3日間かけてクルマで移動し、到着したその日はまるまるオフ。翌日は、これまた1日かけてご自慢のトレーラーをピカピカに磨き上げる。これが彼らの流儀であることを理解しつつも、やはり「チーム総出で一日かけるほどのことなのか」と言ってやりたくもなるが、フロリダの青空の下で輝くさまは、なるほど美しく、トップチームとしての威厳さえたたえていた。
 
 3日目に、やっとピットでテントを設営。そして、デイトナを訪れた多くのレースファンたちの前に、これ見よがしに自分たちのチームを大きく見せるのである。「焦ら」されたぶんだけ、新生エリオン・レーシングと宮城光にとっての「初陣」のよろこびはひとしおだった。いよいよ、1回目の練習走行がスタートする。
 
 

スーパーバイクをも寄せ付けぬパフォーマンス・・・

 
 コースインし、インフィールド、オーバルセクションを走行しながら、ゆっくりとブリヂストンタイヤに熱を入れていく。もう1ラップは、徐々にペースを上げながら様子を見る必要があるだろう。
 フルスロットルでフィニッシュラインを越え、インフィールドセクションへ。ホースシュー、キンクとマシンを切り返しながら気づいた。新しいCBR900RRは、昨シーズンのテストで乗ったそれと比べ、ほんの少し、ハンドリングに癖がある。シーズンを戦い、各部に「あたり」の付いたマシンとは違うのは当たり前なのだが、少しずつ慣れていく必要がありそうだ。
 
 ヘアピンをクリアし、オーバルセクションへと繰り出すと、乗る者を振り落とさんとするように「アンリミテッド」なパワーは健在だった。175馬力か、180馬力か・・・。どちらにしても強烈であることに変わりはない。
 私の背後には、のちにMotoGPでも活躍することになるコーリン・エドワーズの駆るヤマハ・ワークスのスーパーバイク、YZF750が迫ってきていたはずなのだが、それすらも寄せ付けない加速で、車間をゆっくりと広げていく。
 
 シケインを越え、NASCARターン3からターン4にかけては、このコースで最もスピードを乗せるポイントだ。多くのライダーがここでアクセルを緩めてしまうが、2周目とはいえ、最高のラップを実現する自信が私にはあった。
 ところが、スロットルを開け、最高速へと至ろうかというタイミングで、それまでに感じたことのない微振動が発生し、それとともにスクリーン越しにわずかな白煙が見えた。今思い出すのも恐ろしい出来事が起こるまでは、それからコンマ1秒もかからなかった。
 
 

最高速、転倒からのサバイバル

 
 タイヤバースト。
 私のCBRは、それまでの聞き分けはなくとも意志の通い合っていた「じゃじゃ馬」から、ライダーからの入力を一切拒否する、アルミと、チタンと、カーボンの無機質な「塊」へと豹変した。
 
 31度バンクの上段で縦のグラビティが掛かった状態、時速300kmという速度におけるタイヤバーストから、転倒しない方法があるのならば、いくら積んででも手に入れたいものだが、無慈悲にデイトナのバンクへと叩きつけられた私は、「次善の策」を採るしかない。すなわち「生き残ること」だ。
 「転倒したら、絶対に目をつむってはいけない」。そう教えてくれたのは、私が最初に所属した名門チーム、モリワキレーシングの社長、森脇護さんだった。その教えを、忠実に守ったのだ。
 猛スピードでコースを滑走するマシンの軌跡を見失わないよう、目を大きく見開き、そして、絶対に絡まないようにする。当たり前のことだが、コンクリートウォールに自らの体がヒットしないようにする──。
 
 レーシングライダーの装備として、考え得る限り最強の引き裂き強度と摩耗強度を誇るはずの、革製のグローブが、レーシングスーツが、デイトナの舗装によって侵されてゆく。それでも構わず、手のひら、肘、膝、肩、ありとあらゆる部分を使って、自らの行方をコントロールした。
 
 これから1年、レースを戦うはずだった新車のCBR900RRは、わずか2周でアウト側のコンクリートウォールに激突してスクラップと化した。それと運命を共にしなかっただけでもよしとしなくてはならないが、NASCARターン4からグランドスタンドまで400メートルほども滑走し、ようやくコースの上で停止したとき、私は全身の擦過傷と股関節の脱臼により、立ち上がることすらできない状態になってしまっていた。
 
 
 
 
 
 
 
 

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