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ジェンダーから解放された「おひとりさま」

 
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kuri2000 / PIXTA
私たちはいま、様々な財やサービスが「1人」ないし「個人」に向かいつつあることを実感している。商品が変われば消費者も変わるかと思いきや順序は逆で、博報堂の「ソロ活動系男子研究プロジェクト」の荒川和久氏によると、男性は1人で行動する消費者が昔から一定数いた。しかし彼らの消費への影響は過少評価されるのが常で、このところの「1人」ないし「個人」への財やサービスの充実ぶりはやはり、好んで1人で行動する女性が増えたことが大きい。いずれにしても、やっと供給が実態に追い付いてきたのが実情のようだ。
 
ただし公平に見て、女性1人客という意味のいわゆる「おひとりさま」はもう、ジェンダーフリーな消費者像としての「単独者」という意味でとらえられるべきだろう。社会の都市化とITの進展・普及、さらには物流の高度化と成熟が、財やサービスの需給の最少ロットを「1人」ないし「個人」にまで小さくできるようにした。そうとらえたほうが、女性の社会進出やジェンダー観の変化だけで考えるより、現状を生産的にとらえられそうだ。
 
 

「孤独」の活かし方

 
昨年12月にKADOKAWAが出版した『おひとりさま専用Walker』は、「ひとりで過ごすことが人生のプラスになる」という視点で注目されたムック本だ。編集した中村茉依氏は『ハフポスト日本版』のインタビューに答えて次のように言っている。
 
いまの時代は、「つながっていないほうが変」という世の中。でも、他人のことを意識しすぎて、脳みそがストレスフルになりがちな人も多いと思います。ひとりで落ち着ける場所で、自分と向き合うと、頭がすっきりしますよ。 (特集「#だからひとりが好き」より、「誰かと過ごすより「ひとり」が良くない? 29歳、女性編集者が“おひとりさま専用”東京ウォーカーを作ったよ」から一部中略して引用)
 
この感覚はビジネス媒体の読者ならよくわかるのではないか。一昨年あたりからビジネスパーソンに人気のマインドフルネスも同じ感覚上にあるだろう。精神科医の名越康文氏はそれをさらに一歩進めて、「現代人には、ひとりぼっちの時間が圧倒的に足りない」「ひとりの時間は能力開発のエッセンス」とも語る。もっと以前には齋藤孝氏がこれらを思い切って「孤独」と呼び、著書『孤独のチカラ』(新潮文庫・2010年10月)において創造的意義を与えた。先に述べた「単独者」は同書の概念である。
 
創造性を要さない仕事がAIにとって代わるこれからの時代、ビジネスパーソンにとって「単独者」は、財やサービスを供給する側の在り方としても意識すべきテーマになるに違いない。「孤独」の活かし方を心得た単独者のみがよく消費者像としての単独者に向き合える。中村氏も、そもそも、私自身が「おひとりさま」で・・・と、『おひとりさま専用Walker』を企画した背景を語っていた。
 
 

「ひとりゴルフ」は何するものぞ

 
そうやって市民権を得つつある「おひとりさま」向けのサービスには、「ひとりゴルフ」なるものもある。『ゴルフダイジェスト・オンライン』(GDO)が運営するゴルフ場予約・検索サービスの1つで、GDOと提携するゴルフ場が募集する予約に対し、自分の都合に合わせて1人でコンペに参加できるサービスだ。
 
レジャーとしてのゴルフは基本的に複数人でコースを回るが、プレーそのものは単独で完結する。友人・知人と日程を合わせなくても、また周りの雰囲気に合わせて「ナイスショット!」と声を上げなくても、プレーしたい気持ち一つでゴルフ欲を満たせるとあって、「ひとりゴルフ」はゴルフ好きのあいだで人気のようだ。GDOと提携する「さいたま梨花カントリークラブ」の秋元俊朗支配人が同じく『ハフポスト日本版』の取材に答えた逆説的な言葉がすこぶる示唆的である。
 
ゴルフは本来、みんなで楽しくプレーするもの。1人予約のゴルフは、その理想に近い形かもしれません。(「バブル崩壊が生んだ「ひとりゴルフ」の魅力。上司や取引先とコースを回る時代は終わった」から引用)
 
“仲間と一緒にやる前提になっているがプレーそのものは単独で完結する”スポーツは、ゴルフの他にもありそうだ。ビジネスの芽を探す意識からは、主に心理要因がハードルになる「ひとり飲み」などと比べて競技系のレジャーは最少ロットを「おひとりさま」にしやすい――都市化とIT化の恩恵を活かしやすい――のかもしれない。
 
 

“都度つるむ”という行動形態

 
もう一つ「ひとりゴルフ」から示唆が得られるとしたら、現地集合・現地解散であることだ。この“都度つるむ”という行動形態を仮に雇用の文脈でとらえれば、正規か非正規かという議論を越えて、今後増えるはずの、フリーランスに近いプロフェッショナルの人材が案件ごとにチームを組む働き方を暗示するものと見ることもできる。
 
これも都市化とIT化の恩恵で新たに現れた働き方かと思いきや、すでに1937年の時点でノーベル賞経済学者のロナルド・コースが「会社が存在するのは取引コストを効率化するため」と指摘している。「企業を維持するコストが外部との取引コストを下回っている限りにおいて企業はその規模を拡大できる」と。(出典:ダイヤモンド社刊『ブロックチェーン・レボリューション』p115、116)
 
取引コストとは主に、検索コスト(人材や情報やリソースを見つけるためのコスト)、契約コスト(報酬や仕事の条件、秘密保持などの契約を締結して実行するコスト)、調整コスト(全員がスムーズに協業するためのコスト)の3つを指す。いずれも、現代そしてこれからにおいては工夫次第で圧縮できそうなものばかりだ。
 
 

「おひとりさま」を楽しむために

 
このように見てくると、そもそも消費者としても生産者としても、“都度つるむ”ほうがもともとの在り方ではないかと思えてくる。少なくともその覚悟を持つ意義はありそうだ。そこから立ち上がるイメージは、文学の表現を借りるなら次のような一節だ。
 
私はいつも都会をもとめる/都会のにぎやかな群集の中に居ることをもとめる/群集はおほきな感情をもつた浪のようなものだ/どこへでも流れてゆくひとつのさかんな意志と愛欲とのぐるうぷだ (萩原朔太郎「群集の中を求めて歩く」)
 
群集、孤独。能動的で豊饒な詩人にとって、等価にして互換性のある言葉である。自らの孤独に人々を住まわせることのできない者は、せかせかした群衆の中で独りでいることもできないものだ。 (ボードレール『パリの憂愁』より「群衆」/山田兼士訳)
 
私たちが「おひとりさま」を楽しめるようになるためには――そしてそれは時代への適応に他ならないが――群衆を第二の自然であるかのように味わう感性が必要なのだろう。あたかも森に分け入って癒されるかのごとく、群衆(mass)のなかで癒されること。自然を大切に守るように、自分たちの社会を大切にできるようになること。「おひとりさま」の効能は意外に大きいのかもしれない。
 
 
 (ライター 筒井秀礼)
 
(2018.3.7)
 
 

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