阪神・淡路大震災で自衛隊に野菜を納入

インタビュアー タージン(タレント)
森 弊社は1959年に父の義理の兄が創業した会社です。法人化は私が生まれた年でもある1976年のことでして。父の兄は若くして亡くなったため、東京の卸売市場で修業していた父が呼び戻され事業を継ぐことになりました。ただ、この仕事はトラック一台分の野菜を売っても1万円しか利益が残らないほど利幅が薄かったんですよ。これでは産地まで買い付けに行くとたちまち赤字になってしまいます。
タージン そうだったのですね。お父様は苦労なさったのではないでしょうか。
森 はい。阪神・淡路大震災の際には、あらゆる取引先から返品されたと言います。普段であれば1時間程度で着く神戸の海上自衛隊に、半日かけて野菜を納品に行くと「今後、拠点を和歌山に移すことになった」と言われてしまったそうです。それで「この商売はやめてたこ焼き屋でもしようか」と両親で話していたところ、もともと弊社が野菜を納入していたほかの自衛隊の駐屯地から、信じられないほど大量の発注書が送られてきたんですよ。間違いではないかと感じた父が確認の電話をすると、「全国の自衛隊が応援に来ているから、それだけの野菜がいるんだ」とのこと。
タージン これは大変なことになりましたね!
森 しかも、その駐屯地に野菜を納入していた別の会社は被災して動くことができなかったんですよ。父はすぐさま全国の産地に連絡し、ものすごい量の野菜を自衛隊に届けることにしました。農家のみなさんも「こんな大変なときだし、丸安青果さんなら代金は後でいいよ」と協力してくださったんです。
タージン 地道に商売を続けてきたお父様の努力が実った瞬間ですね。
森 ええ、おかげさまで弊社の事業は軌道に乗り、高校3年生だった私も出荷を手伝うようになりました。ただ、将来的に会社を継ごうと考えることはなかったんですよ。