憧れの恩師にならい30歳で独立を決意!

インタビュアー 狩野恵輔(野球解説者)
前田 子どもの頃から野球漬けの毎日でした。もともと私の父は高校球児で、ドラフトでジャイアンツに指名され長嶋茂雄監督がご挨拶のため我が家にいらしたこともあったそうです。結局、父はプロに進まなかったものの、父の血を受け継ぎ野球に夢中になりまして。ただ、大学までプレーしたものの靭帯の怪我が治らず引退し、そのまま学校も中退して自動車業界に飛び込みました。
狩野 そうだったのですか。怪我は残念ですが、それをきっかけにこの業界に入ったわけだ。最初のお仕事は、どのようなものだったのでしょう。
前田 大手自動車部品メーカー系の企業に就職し、お客様の車にカーナビなどを取り付ける業務を担当しました。そして数年後、恩人に当たる社長から「この会社しか知らないのはよくない。一度は外に出ろ」と言われ、ここ天理市にある小さなカーディーラーに移籍したんです。その店で私は営業として結果を出し、20代で店長に就任しまして。最終的には、県内にある系列4店舗を統括するマネージャーになりました。