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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

豊富なメガネと補聴器で 顧客に笑顔を届けたい
メガネと補聴器の中尾 代表 中尾光宏

 
プロフィール 大阪府出身。父がメガネ店を経営する家で育つ。学業修了後は家業に入ることなく、さまざまな職で経験を積むも、営業先の顧客に実家を手伝うべきだと勧められたことをきっかけにメガネと補聴器の中尾に入社。2015年に代表に就任した。定期的に自店内で相談会を開いたり、老人ホームなど福祉施設や病院、個人宅への出張販売をしたりするなど、顧客目線での活動を続けている。【ホームページ
 
 
 
スマートフォンの普及で子どもの視力は落ち始めていると言われている。また、人は年齢を重ねると聴力が衰えてゆく。この二つの能力を支えるメガネと補聴器を販売するのが、大阪市平野区のメガネと補聴器の中尾だ。創業から半世紀を超えた同店の2代目代表・中尾光宏氏は、認定補聴器技能者として出張販売や相談会も積極的に手がけている。高齢者に嫌がられず補聴器の使用を勧めるコツなど、さまざまな話題をじっくりとお聞きした。
 
 
 

出張販売も手がける大阪市平野区のメガネ店

 
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インタビュアー 八木裕(野球解説者)
八木 大阪市平野区に店舗を構える、メガネと補聴器の中尾さんにお邪魔しています。地域に根付いたメガネ店として愛されているお店だとお聞きしました。さっそく、中尾代表のご経歴や創業からの歩みを教えていただけますか。
 
中尾 私は、この店の斜め前にあった自宅で1972年に生まれました。もともと当店は曽祖父が開いた瀬戸物店がルーツです。その後、このあたりはガラスレンズづくりが盛んだったことから、曽祖父がガラス工房を立ち上げてルーペのガラスを生産するようになり、祖父がメガネのレンズを生産するようになりまして。父が業態をメガネ店に変えたのが1969年。長男の私が経営を継いだのは2015年なんですよ。
 
八木 メガネ店としてすでに2代、半世紀を超える歴史をお持ちとは素晴らしいですね。中尾代表ご自身は、もともと家業を継ぐお考えだったのでしょうか。
 
中尾 実を言うと、若い頃は店を継ぐ気がなかったんですよ。ただ人と話すことは大好きだったので、いろいろな業界の仕事を経験してきました。そして、茶わん蒸しや卵豆腐のメーカーで営業をしていた22歳のときに、得意先だった豆腐店の主人から「実家が店なら手伝うべきだ」と強く勧められたんです。
 
八木 そのご主人は、中尾代表が客商売に向いていると見抜いたのでしょうね。
 
中尾 まあ、もともと接客を苦にしない商人気質だったのでしょう(笑)。そこで私は、神戸の元町にあった高級メガネ店で修業を積み、26歳で当店に勤めました。代表に就任するまでは、父がメガネ、私が補聴器と役割を分担しながら営業してきたんです。
 
 
 
 

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