ボクシングに打ち込んだ少年時代

インタビュアー 内山高志(元ボクシング世界王者)
髙塚 もともと私の父が鳶工事の会社を経営していて、一時は50人ものスタッフを抱えるほど順調でした。ところが、バブル崩壊の影響で経営難になってしまったんです。そのような状況で、あまり裕福とは言えない家庭に育った子ども時代でした。そんな時、たまたまテレビで見たボクシングの世界王座戦、薬師寺保栄選手と辰吉丈一郎選手の伝説的な試合に感動しまして。それで、「自分もチャンピオンになる」と決意し、10歳で花形ボクシングジムに入会したんです。
内山 小学5年生からボクシングを始めるとは早いですね。当時はどのような暮らしだったんでしょう?
髙塚 朝3時半に起きて新聞配達をし、それから小学校に通いました。放課後は15kmの道のりを走ってジムに通い、5時間練習して、また走って帰宅するという日々を送っていましたね。しかし、14歳の時に家庭の事情でボクシングを辞めざるを得なくなり、中学校に通いながら土木工事会社で働いていました。本来であればそのようなことはできないものの、その会社の社長さんが、市の教育委員会にかけ合って特別に許可を得てくださったんです。ちなみに、当時の日給は4000円ほどでした。私が中学を卒業するまで面倒をみてくれた社長さんには、本当に感謝しています。