飲食店の屋根裏部屋に寝泊まりして働いた

インタビュアー 濱中治(野球解説者)
北島 私は神奈川県出身で、中学を卒業後すぐ社会に出たんですよ。何か商売をしたいと相談したところ、父が「それなら大阪で食い物屋だ」と言うので、たった一人、大阪で飲食店を経営していた親戚に預けられました。当時は屋根裏部屋に寝泊まりし、朝9時から夜中の12時まで働いて、休みは月に1日か2日しかなかったんですよ。それでも辛抱していたものの、3年後にはさすがに夜逃げしました(笑)。そうしてたまたま面接を受けた特急列車を運営する会社に採用され、食堂車でコックをすることになったんです。
濱中 昭和という激動の時代ならではのエピソードばかりですね。その後の歩みも気になります。
北島 19歳のときに同僚でウェイトレスだった妻と結婚し、2人であちこちの飲食店を転々としました。そして、23歳のときに喫茶店をオープンしたんですよ。閉店するまでの3年間でかなりの金額を稼いだものの、すべて遊びに使ってしまい残ったのは借金ばかりでした。やがて父の仕事の縁で建築業を経験した後、トラックを買って建築現場に資材を運ぶ仕事を始めまして。そんなときに、天井のボード張りをしていた職人が「一度うちに遊びに来い」と声をかけてくれたんです。