レストランの接客から製缶会社の手伝いに

インタビュアー 濱中治(野球解説者)
竹﨑 弊社を創業したのは先代の父でした。私自身は小学校から高校までサッカーに熱中していまして。高校卒業後は、留学の資金を貯めるため兵庫県神戸市の飲食店でアルバイトをスタートしたところ、たまらなくおもしろくなったんです。結局、正社員として勤務することになりました。何店か接客経験の後、最終的には神戸復興への思いで、みなと神戸のクルーズ船で、フランス料理をご提供するレストランの接客をやっていたんですよ。
濱中 現在のお仕事とは、まったく異なる社会人のスタートで驚きました。ぜひ、続きをお聞かせください。
竹﨑 常連のお客様に顔を覚えていただいたり、阪神・淡路大震災後に炊き出しに参加して喜んでいただいたりするなど、充実していましたね。当時は、弊社の経営を継ぐ気はありませんでした。父も「苦労の多い仕事なので継がなくていい」と言っていたんですよ。ところが2008年に、勤務先のレストランが事業を停止してしまいました。そして、人手不足に悩んでいた父から「手が空いているなら、納期管理やデータ分析を手伝ってくれ」と誘われたんです。
濱中 その言葉が、家業に足を踏み入れるきっかけだったんですね。
竹﨑 結果的にそうなりますね。私はレストランの接客担当として、一歩引いたところから全体を観察したり、適材適所で人を動かしたりする能力には自信を持っていました。ですので、ゆくゆくはこの経験も活かせる場面もあるだろうとの思いで、引き受けまして。ただ、弊社の仕事はあくまでも一時的なヘルプのつもりだったんです。ところが今度は2013年に、経理を担当していた母が、その半年後には代表である父が相次いで亡くなってしまいました。