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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

金属表面処理の精鋭集団 部品や金型で幅広い実績
ミズノハードテック株式会社 代表取締役 水野理志

 
プロフィール (みずの まさし)大阪府出身。大学卒業後、父が設立したミズノハードテック(株)に24歳で就職する。その中で、金属表面処理の職人として勤務し、数多くの経験を積んだ。2009年4月、46歳で2代目の代表取締役に就任。精密機器や家電製品などの製造で使用されるプラスチック金型や金属部品の硬化技術で、多くのメーカーから厚い信頼を獲得している。
 
 
 
携帯機器や家電、ロボット、半導体など、工業製品の製造に欠かせない金属部品やプラスチック金型の表面処理を手がけ、多くのメーカーからその技術力を高く評価されているミズノハードテック株式会社。代表取締役の水野理志氏は、創業者の父から仕事に対して一切妥協しない姿勢を叩き込まれ、その姿勢をさらに自身で磨きあげてきた努力と信念の人である。そんな水野社長に、これまでの歩みから仕事に懸ける思いなどをうかがった。
 
 
 

少年時代から勉学に励む

 
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インタビュアー 八木裕(野球解説者)
八木 大阪府東大阪市で金属の表面処理や熱処理を行っているミズノハードテック株式会社さん。水野社長は2代目でいらっしゃるそうですね。
 
水野 はい。弊社は父が1975年に創業した水野工業所を前身とし、1977年に法人化して現在に至ります。創業以前から、父は別の会社で常務取締役として金属加工部門を取り仕切っておりました。ですから、父が働く姿を日常的に見ていて、いつか私もこんな風に働くんだろうなと漠然と考えていたんです。ところが、小学校高学年の時、日本初のノーベル賞受賞者である湯川秀樹博士の伝記に感動し、「湯川博士の母校である京都大学で学ぶため、私立中学に進学させてほしい」と両親にお願いしたんですよ。
 
八木 少年らしい純粋な憧れの気持ちから、勉学に目覚めたわけですか。
 
水野 ええ。その時はただ湯川博士のようになりたい一心でしたね。塾にも毎日のように通い、小学校6年生まで猛勉強しました。しかし、運悪く父が勤務していた会社の経営が悪化してしまい、急に生活が苦しくなったため、私立中学の受験を断念せざるを得ませんでした。
 
八木 家の事情では仕方ないとは言え、それはとても残念ですね。
 
水野 そうですね。その後、父が独立して起業したものの、事業が軌道に乗るまでは生活も大変で、一時は高校進学も危ぶまれたほどだったんです。しかし、どうにか大学を卒業するまで勉強を続けられました。ただ、大学は父に命じられるままに工学部に入ったんです。
 
 
 
 

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