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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

愛情を込めた鈑金加工で
国内製造業の礎を支える

 

未経験から始まったレーザー加工への挑戦

 
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畑山 まずは会社の歩みからお聞きしましょうか。
 
平田 1981年、私が生まれた年に、父が共同経営者と共に立ち上げました。以来、大手家電メーカーさんのテレビなどの金属部品を手がけてきたと聞いています。
 
畑山 平田社長は小さい頃からお父様の背中を見て育ってこられたのですね。
 
平田 父は今でも現役さながらに現場で働いていますけれどね(笑)。やはり物心ついた頃から父を見てきたので、「将来は製造業に」と考えていました。そして工業系の高校を卒業後、社会勉強のために愛知県で就職しまして。オートバイのパーツなどを成形する金属加工会社で働きました。
 
畑山 家業に戻られたのはどんなきっかけがあったのでしょう?
 
平田 レーザー加工機の導入ですね。「会社の成長に向けて導入したから一緒にやろう」と父に言われ、26歳で実家に戻りました。でも、私はレーザー加工機を触ったことがなくて(笑)。というより、鈑金についても夏休みのアルバイト程度の知識しかありませんでしたから、図面も読めない、材質も何も知らない状態だったんです。
 
畑山 ゼロからのスタートとは恐れ入りました。その苦境をどうやって乗り越えたのでしょう?
 
平田 責任感ですね。親子とはいえ任された以上は甘えず、しっかりと期待に応えなくてはと思い、朝から晩まで勉強して覚えました。また、もともとものづくりが好きだったので、「早く一人前になりたい!!」との気持ちも強かったです。
 
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畑山 その妥協を許さない職人魂はお父様譲りなんでしょう。レーザー加工機の導入で仕事の幅もずいぶん広がったと思います。今、お付き合いのある会社はどのように広がっていったのですか?
 
平田 ほとんどが父の創業時からのご縁です。先ほどお話しした自動車メーカーさんとのお取り引きは、父の代からお付き合いしていた会社さんが引き合わせてくださいました。しかも、その時期がちょうどリーマンショックの影響が直撃しているときでしてね。父が長年妥協なく仕事を続けてきたことが信頼を生み、ピンチから救われたのだと思います。
 
畑山 職人として、経営者として、非常に尊敬できるお父様ですね。平田社長もその血をしっかりと受け継いでいるからこそ、代替わりした現在もお付き合いが継続しているんだと思いますよ。
 
 
 
 

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