プロフィール 奈良県出身。大学卒業後、大阪の呉服店に就職。営業職としてわずかな期間で上位の成績を収めるまでに成長し、店長に抜擢され営業部を仕切る権限を持つほどの存在になった。その中で、斜陽産業の業界で会社員として同じ仕事を続けることに迷いが生じ、独立を決意。さまざまな苦労を経て大衆演劇の舞台衣装の販売をスタートした。事業を軌道に乗せてからは、東京進出も果たしている。【ホームページ】
大阪・天神橋の「かんさい呉服」、東京・浅草の「あさくさ呉服」は、一般的な呉服だけでなく大衆演劇の舞台衣装も販売する呉服店だ。両店舗を運営する株式会社原の代表取締役は原彰希夫氏。大阪の呉服店で営業部を率いるも、独立。苦難の末、大衆演劇の衣装販売という新たな道を見つけ、東京にも進出したという。「野心は捨てました」と語る、原社長の真意はどこにあるのか、話をうかがった。
わずかな期間で社運を担う存在に

インタビュアー 吉井怜(女優)
原 私は昔から目立ちたがり屋で、中学生の頃からずっと学級委員長をしていました。でも、悪さをして先生に叱られることも多い子どもでしたね(笑)。大学卒業後は、大阪の呉服店に就職しました。ただ、自分で和服を着たのは成人式の時ぐらいで、特に着物に興味があったわけではありません。
吉井 そうだったんですね。呉服業界の印象は、いかがでしたか。
原 50~60代の女性を中心に、思った以上によく売れていたことに驚きました。私自身も営業職として懸命に働き、すぐに良い成績を収めて店長に抜擢されたんです。その後、会社の一部の営業部を仕切るくらいの権限をいただき、上司から「この会社を守っていく存在だ」と期待されるほどになれました。
吉井 それだけの評価をされるまでには、ご苦労も多かったのでは?
原 仕事はバリバリの営業でしたから大変でした。でも、着物好きのお客様と話すことが楽しかったので、苦にはなりませんでしたね。とは言え、呉服業界は斜陽産業でしたから、着物を購入されるお客様は減っていくのではないかと心配したり、会社員のまま自分の成功はあるのかと、強く迷ったりするようになりました。