個人で始めたトラック運送業がバブル崩壊のあおりで行き詰まるも、アルバイトで偶然訪れた会社経営者宅で人柄を気に入られ、あらたなきっかけをつかむ。そんな希有な“縁”に導かれて、今やトラック10台と従業員13人を抱える運送会社、株式会社石飛を経営する石飛武夫代表取締役。「働くみんなが誇りに思えて、楽しめる会社を目指す」という石飛社長に、これまでの歩みや恩人への感謝の思いなどをうかがった。
不遇のバイト時代の出会い

インタビュアー 畑山隆則(元ボクシング世界王者)
石飛 初めて自分のトラックを持ったのが20歳の時でした。17歳から建築土木の世界で働いて、こつこつ貯めたお金を頭金にして買った念願の1台だったんです。それ以来、自前のトラックを荷主のもとへ持ち込んで輸送を請け負う、いわゆる持ち込み、一人親方のスタイルで仕事をするようになりました。
畑山 最初はお一人で事業を始めたと。現在の御社の主要な取引先は、農業機械部品やエンジン部品の有力サプライヤーである廣野鐵工所だと聞いています。この事務所もその会社の敷地を間借りしているんですよね。おつき合いが始まったきっかけは?
石飛 個人で運送業を始めて早々にバブルが崩壊し、しばらくすると建築資材などを運ぶ仕事がぱったりとなくなったので、建設現場で働きながら、合間に造園のアルバイトをしていました。そんなある日、お庭の手入れにうかがった先が、たまたま廣野幸誠社長のお宅だったんですよ。
畑山 そこから縁が始まるなんて、人生わからないものですね。
石飛 そうですね。日曜日だったので社長本人がご在宅で、「やんちゃな男がうちの庭で一所懸命に仕事をしとる、オモシロイ」と、私に興味を持ってくれたんです。いろいろ質問されて、トラックを手放したくないから休みの日もバイトしてるんです、と身の上を話したら、「工場やってるから来てみるか」と誘っていただきまして。