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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

自身の育児経験を糧に 
重度訪問介護事業を展開

 

地域住民の手厚いサポートがサービスの原点

 
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タージン 別々の母国をもつ2人が日本で出会ってご結婚され、お子さんが生まれたんですね。筋ジストロフィーは難病ですから、大変なご苦労があったと思います。
 
 息子たちはもちろん、私たち親にとっても、文字通り生きるか死ぬかの生活でした。初めは病院にも相談したんです。でも、「治療はできないから、医療的なケアをあなたが学び、家に連れ帰って世話をしなさい」と言われました。
 
タージン 今と比べて制度的な支援が全然追いついてなかったとはいえ、難病を抱えるお子さんを2人も、家族だけで面倒をみるのは相当大変だったでしょう。子どもたちから目が離せなかったんじゃないですか?
 
 ちょっとでも目を離すと、呼吸ができなくなってしまうかもしれない。ですから本当に怖かったです。1人で面倒を見ているときは、お風呂にも入れませんでした。おっしゃる通り、まだヘルパーや訪問看護の制度も整っていなかったので、周囲からはベビーシッターを勧められたんです。でも、高額でとても無理でした。それでも当時の夫は、「どんなことがあってもこの子は自分たちの子どもだから、誰にも預けない。自分たちの力で育てる」と力強く私を支え続けてくれました。
 
タージン 聞いたところによると、ご子息2人が、京都市における児童向けのホームヘルプサービスの利用者第一号だそうですね。
 
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趙 ええ。市の職員の方からはそのように聞きました。最近は日本でも訪問介護や訪問看護に本腰を入れて取り組んでいます。でも、当時はヘルパーを自分の家に入れてサービスを受ける文化が醸成しておらず、一般にはあまり受け入れられていませんでした。
 
タージン となると、趙代表のご子息たちがその利用者となったことは、文化を広げるためのモデルとしても、大いに影響があったでしょうね。そんな厳しい日常の中で、家族舎さんを立ち上げるまでには、どのような経緯があったのでしょう?
 
 制度に頼れない中で育児を続けてこられたのは、当時同じマンションに住んでいた方々や、周辺地域に住む方々が陰になり日なたになって私たちを助けてくださったからなんです。ご飯をつくって持ってきてくれたり、1人の子守をしている間、もう1人を散歩に連れていってくれたり、回覧板でサポートを募ってくださったこともありました。そのときに、民間の力でもできることはたくさんあるんだと知って、この経験が今のサービスの原点になっています。
 
 
 
 

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