重度訪問介護で社会に貢献する合同会社家族舎の趙没名代表は、中国生まれ。留学を機に訪れた日本で結婚した。筋ジストロフィーという難病を抱えた2人の息子を育てるため、多大な苦労に直面しながらも、当時の夫と地域住民の支えもあって、困難を力強く乗り越えてきた。日本では整備が遅れていた児童を含む重度訪問介護での起業に趙代表をかりたてたものは何だったのか。その思いをうかがった。
移り住んだ日本で迎えた人生の転機

インタビュアー タージン(タレント)
趙 はい。日本との関わりは1986年に鴨長明の『方丈記』などに代表される、古典文学を学ぶ目的で留学してきたのが始まりです。その前に中国の大学でも日本文学を専攻し、卒業後は上海テレビ局で働いていました。でも、自分では一人前と思っていた日本語が、大阪から来たテレビ局のスタッフと打ち合わせをしたときに、うまく聞き取れなくて。
タージン 大阪の言葉は、学校で教えるような標準的な日本語とだいぶ違いますから、聞き取れなくても無理はないですよ。
趙 だから、日本で学び直すことにしたんです。2年間の予定だったものの次第に欲が出て、神戸の大学院に移ってさらに勉強を続けました。私にとって、日本の居心地が良かったことも大きいと思います。
タージン そして、京都にお越しになったと。
趙 ええ。京都で大学の教員をしているアメリカ人の男性と結婚しました。彼とはその後、離婚してしまうことになりましたが、2人の息子に恵まれました。しかし、2人とも筋ジストロフィーという重い病気をもっていたんです。これが後に、家族舎を立ち上げることになる最初のきっかけでした。