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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

 
プロフィール 京都府出身。就学中からアルバイトで鳶職に就き、その魅力に惹かれる。以来、20年以上、鳶として建築・土木・社寺・橋梁などの仮設足場工事に携わる。23歳で起業し、川口組を設立。紆余曲折を経て、京阪神全域で大型施設建設に伴う足場工事を手がけるように。京都府鳶組合の理事を兼任。近年は、同組合にて講師としても活動の場を広げている。【ホームページ
 
 
 
鳶職として足場づくりを手がけて20年。23歳で独立して以来、大型施設建設に伴う足場工事全般を手がけてきたという川口組の代表、川口利也氏。自身は「運が良かっただけ」と笑うが、その影には並ならぬ苦労があったはずだ。親方と別れて自分の道を歩むことを決意した川口代表。それを認められたのはつい最近であるという。これまでの鳶人生から得たものを反映させた川口代表の組織づくりとは――?
 
 
 

鳶の仕事に魅せられて

 
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インタビュアー 相原勇 (タレント)
相原 川口組さんでは、建造物の建設に伴う足場工事を手がけておられるとうかがいました。川口代表は、やはり昔からこういったお仕事を?
 
川口 そうですね。もう20年以上になります。ただ、昔は保育士になりたかったんですよ(笑)。
 
相原 え、それはまた意外な(笑)。全く別の業種ですよね。なぜ鳶職を選ばれたのですか?
 
川口 単純に子どもが好きだからという理由で保育士になろうと思っていたのですが、結局この仕事を始めたら、その魅力にどっぷりはまってしまって。仕事自体も魅力的でしたし、何より魅力的だったのは“人”。おもしろい人が多かったんですよ。
 
相原 こういった業界だと、上下関係がかなり厳しそうですし、ちょっと失敗すると、すごい勢いで怒られそうなイメージがあります。
 
川口 確かに厳しかったですね。当時は殴られることが当たり前の時代でしたから。そうする中で、徐々に「自分ならこうする」と考えられるようになったため、23歳で独立しました。しかし、当時は天狗になっていたところがありましたね。辞めてからのほうが必死になって仕事を覚えましたよ。
 
相原 ずいぶんとお若くして独立されたんですね。