B+ 仕事を楽しむためのWebマガジン

経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

独自性にこだわるアイデア
信頼のマネージメント力

 

あらゆる異業種を経験した20~30代

 
glay-s1top.jpg
爽やかで目を惹くデザインのロゴ
水野 そこに至るまでには、やはり糸山社長の地道な努力の積み重ねがあったのでしょうね。
 
糸山 努力はしてきましたが、水野さんのご想像とは少し違うでしょうね。なにしろ私は、波乱万丈な職歴を経てきましたから。
 
水野 波乱万丈! それ、とっても気になります(笑)。
 
糸山 若い頃、「個性のある生き方をしたい」と思っていた私は、大学を中退し、生活のためにと、20歳の時に小さな広告代理店で営業職に就きました。バブルの恩恵もあり、あれよあれよと言う間に27歳で独立しちゃいまして。しかしその後、バブルは崩壊し、仕事は激減。次第に先行きが見えなくなりついには事務所を閉鎖、この時は本当に人生のどん底を経験しました。自業自得ですがね。でも、「どこかでいつか・・・」と捲土重来を期して何とか頑張ることができました(笑)。
 
水野 それは辛い経験をされましたね・・・。その後はどうされたのですか?
 
糸山 ゴルフのインストラクターに就きました。
 
水野 ゴルフですか! それはまたどうして?
 
糸山 事務所閉鎖後、無職になりましてね。でも、シングルプレーヤーだったのはラッキーで、有名プロの門を叩き、研修を受けスクールの仕事を斡旋していただきました。師匠からの最高の教えは「ゴルフが上手いだけではだめだ、ゴルフを教えるのは営業だ」でした。多くのレッスン生徒さんとのコミュニケーションの時間は本当に良かったです。
 
水野 ゴルフで技術よりも、営業を学んだと言うのはおもしろいですね。そのお仕事は何年ほどされたのでしょう。
 
糸山 4、5年ですね。その後は父が鉄工所を立ち上げると聞いて、手伝うために東京から故郷の長崎・佐世保に帰ったんです。ゴルフは、どこででもできますからね。
 
水野 確かに。それにしても、切り替えが潔いですね! 鉄工所ではどんなことを?
 
glay-s1top.jpg
糸山 鉄なんて、持ったことあるのはアイアンくらいでしたから(笑)。そこでは未経験から必死になって、ステンレスや鉄の溶接加工、据え付け等々を。満身創痍でしたね。
 
水野 広告業やゴルフインストラクターという、華やかなお仕事からの転身ですものね。
 
糸山 それでも、当時は幸せでしたね。仕事がある喜びを噛みしめながら、「与えられたことを一生懸命やろう」と、それが自分の使命のように感じて働いていました。
 
水野 何となく働いていたという20代から、考え方が変わったんだ。一度どん底を味わったからこそ、成長できたのかもしれませんね。
 
糸山 ええ・・・でもその後、さらに苦難を経験したんですよ(笑)。
 
水野 ここ、鉄工所じゃないですものね。もうひと波乱あるだろうな、とは思っていました(笑)。
 
 
 
 

アーカイブ一覧

分野で選ぶ

バックナンバー

最新記事

話題の記事