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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

生涯現役アスリート! 和歌山を走る運転代行
アスリート運転代行 代表 長谷利明

 
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インタビュアー 濱中治(野球解説者)
濱中 和歌山県和歌山市で運転代行業を営むアスリート運転代行さん。長谷代表は1964年の東京五輪で聖火ランナーを務められ、81歳の今も現役の陸上選手として大会に出場しながら、子どもたちへの指導にも力を注いでおられるそうですね。まずは、これまでの歩みからうかがえますか。
 
長谷 私は生まれも育ちも、ここ和歌山市です。銀行員として働きながら、若い頃から走り高跳びに没頭してきました。当時は勤務先の近くにある和歌山城の階段を、トレーニングとして毎朝駆け上がるのが日課でしたね。
 
濱中 毎朝お城の階段を駆け上がるとは、若い頃からストイックでいらしたんですね。国体でも長く活躍されたとか。
 
長谷 ええ。1966年の大分国体や埼玉国体、さらに福井、長崎、岩手と、数年にわたり各地の舞台で実績を重ねました。1971年には和歌山県スポーツ賞もいただいています。72歳の時には、年代別の走り高跳びで全国優勝も果たし、陸上はまさに私の人生の軸となっているんです。
 
濱中 陸上と共に歩んでこられた人生ですね。東京五輪の聖火ランナーに選ばれた当時のことも、ぜひ聞かせてください。
 
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東京五輪で聖火ランナーを務めた当時の長谷代表
長谷 18歳の時に和歌山市内のコースを走りました。路面電車が走る沿道を大勢の観衆が埋め尽くした光景は、今も鮮明に覚えています。和歌山城の周辺だけで3万人もの人が集まったそうです。
 
濱中 3万人! 当時の熱気が伝わってきますね。
 
長谷 数年前、NHKの特集番組でも取り上げていただきましてね。当時はまだ白黒写真が主流だった時代に、たまたまカラーで撮ってくれた方がいたんです。その写真とともに聖火リレーの様子が紹介された時には感激して、ディレクターに「宝物をいただきました」とお礼を伝えましたよ。
 
濱中 まさにかけがえのないご経験です。その後、運転代行業を始められたのは、どのようなきっかけがあったのですか?