
インタビュアー 八重樫東(元ボクシング世界王者)
松瀬 もともと父が水道事業に携わっていて、私も手伝いをしていました。忙しくしている父を見て、「水道事業は一生なくならない仕事だ」と感じ、高校生のとき水道屋になろうと決意したんです。それで、卒業後にすぐ父のいる会社に就職し、28歳まで下積みを重ねました。
八重樫 高校生で水道インフラの重要性に気付くとはすごいですね。独立のきっかけは何だったのでしょうか。
松瀬 社内で耳にした、「親のすねかじり」という言葉です。カチンと来ましたが発破をかけられた気もして、「こうなったら自分の力でチャレンジしよう」と29歳で独立したんです。
八重樫 心ない悪口が、むしろ発奮材料になったと。思い切ったご決断でしたね。ご苦労も多かったのではないですか。
松瀬 いきなり顧客獲得の壁にぶち当たりましたね。伝手がゼロの状態から、数々の会社に直接アポイントを取り、いただいた仕事に一生懸命取り組みました。そのうち、あるお客様が私の仕事を高く評価し、定期案件をご依頼くださったんです。
八重樫 地道な努力が実を結んだ瞬間ですね。嬉しかったでしょう。
松瀬 はい。事業が成り立っているのはお客様から信頼いただけているおかげ。ですから、お客様が心の底から「ありがとう」と言ってくださるような仕事を心がけています。
八重樫 そうした気持ちで仕事に取り組むからこそ、その場限りではなく、次に何かあったときもお願いしたいと思ってもらえるんだろうなぁ。

八重樫 そのポリシーが実を結んだ例として、印象的なエピソードがあればお聞かせください。
松瀬 同業の3社が対応できずにお断りしていたお客様の仕事を担当したことがあります。他社は新品交換を提案していたのを、何とか別の形で修理できないかと試行錯誤した結果、製品内部の部品交換で対応できることがわかったんです。結果として費用も新品交換よりずっとローコストに抑えられ、お客様に大変喜んでいただけました。