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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

不動産業で地元に貢献!
誠実さで顧客に寄り添う

 

東日本大震災を経験し、家族のために転職

 
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本田 最初の仕事はやりがいもあり楽しかったものの、私は工学部出身だったことから、設計に携わりたい気持ちが強くなっていました。ちょうどその頃、勤めていた会社の上司や同僚たちが独立することになり、私にも声をかけていただき、やりたい仕事ができる魅力から転職したんです。
 
名高 同業種での転職ですか。希望の業務にも携われるとなると、充実していたこととお察しします。その後、どうなったのでしょう。
 
本田 技術者として福島県に赴任した後に、東日本大震災で被災しまして。当時、私の子どもがまだ2歳と幼かったこともあり、さまざまなリスクも考えて埼玉県の実家に妻子と一緒に戻ったんです。しばらくは私だけ福島県で働いていたのですが、将来を見越して転職を決断しました。
 
名高 そのような事情があったのですね。埼玉に戻ってこられたことが、不動産業の道に進むきっかけだったと。
 
本田 はい。同業種での転職先も探したものの、当時は日本中が先の見えない暗い風潮だったこともあり、見つかった会社といえば自宅から片道2時間もかかる場所でした。家族と将来設計を話し合った結果、一緒に過ごせる時間を大切にできる仕事を探すことにしたんです。私の興味や関心を考慮しながら新しい仕事を模索していたとき、自身が不動産を探していた際に、担当者の人柄が決め手になったことや、「ありがとう」という言葉の特別感に惹かれたことを思い出し、この業界に進むことを決めました。
 
名高 本田社長はお子さんやご家族との時間をとても大切にしておられますね。生涯で一緒に過ごせる時間は限られていますから、良い選択だったと私は思いますよ。
 
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本田 ありがとうございます。私も子を持つ立場になってみて、今は亡き父の思いや、一緒に過ごした時間など、多くの気付きがありました。福島にいた頃は、離れていたこともあって親と会えるのも年に数回で、自分にできる親孝行や家族孝行について考えたものです。そういった背景も知っていたからこそ、不動産業への転職や独立を後押ししてくれた妻には感謝しています。
 
名高 家族のために働く本田社長は一家の大黒柱として頼もしいです。奥様も、起業直後の収入の不安定さなどを覚悟のうえで背中を押してくれたのでしょうし、心強いご家族ですね。