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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

秘伝出汁と日本酒が自慢
愛される老舗蕎麦居酒屋

 

蕎麦から始まり、家庭料理やお酒も出す店に

 
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先代の髙橋徹氏
八木 開業までの道のりについて、さらに詳しくお聞きしたいです。
 
髙橋(徹) もともと私の弟が蕎麦屋に勤めていましてね。彼が今の新大阪第一生命ビルが建つという情報を知ったことで、独立を考えたんです。先ほど申し上げたように、私は北浜で会社員として営業をしていたのですが、弟から誘いを受けて、一緒に店をやろうと決心しました。
 
八木 それは思い切りましたね! でも、周囲からは反対されなかったんですか?
 
髙橋(徹) 会社では取締役も務めていたので、突然「蕎麦屋をやる!」と言い出した時は妻もびっくりしていましたよ(笑)。でも最終的には納得してくれました。
 
髙橋(潤) 高校生だった私は、父親との会話もそれほどなかった関係だったので「大丈夫かな」って思うくらいでした(笑)。
 
八木 実際にお蕎麦屋さんを開いてみて、いかがでしたか?
 
髙橋(徹) 最初は一日を通して蕎麦屋として営業していたのですが、夜営業の需要が皆無で、まったく成り立たちませんでした。そこで、お客様の声もあって夜は居酒屋として新たにスタートしました。当時、この近辺に蕎麦屋として昼夜出前に行くことが多く、コツコツと行く先々で営業を兼ねてお店の宣伝をしていたところ、元営業マンだったことに共感していただけることも多かったんです。その甲斐もあってたくさんのサラリーマンのお客様たちに支持され、来店につながりました。
 
八木 それまでの営業経験が活かされたわけだ。
 
髙橋(徹) そうですね。もちろん料理も工夫しました。蕎麦職人の弟がつくる出汁の味には強い自信があったので、それを使ったメニューを次々に開発していったんです。
 
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八木 毎日忙しい会社員のお客さんにとっても、家庭料理が食べられるお店というのは嬉しかったでしょうね。
 
髙橋(徹) 夜のお客様を意識し日本酒を取りそろえたことも、大好評でしたね。「こんなにたくさんお酒がある店は珍しい!」と喜んでいただけました。ただし順風満帆というわけでもなく、30年前のバブル崩壊の頃や、リーマンショック、昨今のコロナ禍はやはり大変でした。そんな中でも常連の方々が立ち飲み屋的にご利用くださって、本当に感謝しています。一方で、新規の大型オフィスビルが続々とできることで数多くの競合店ができたり、近所に新しいお店ができたりするたびにお客様が流れる不安は日々ありました。
 
髙橋(潤) でもそういった動きも一時的で「もう来店してくれないかも」と心配しても、1ヶ月ほど経てば多くのお客様は当店に戻ってきてくださることがわかってきました(笑)。
 
八木 目新しさで他店に行っても、「やっぱりいつも食べているあの味が恋しい」となりますよね。
 
髙橋(潤) そうなんです。皆さん父に「マスター浮気してごめん! やっぱりここじゃないとあかんわ!」っていつも通りに席に座って楽しく飲んでいます! こちらの心配事が何事もなかったかのように(笑)。
 
 
 
 

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