体操指導者がダンスに目覚めスクールを開く

インタビュアー 矢部美穂(タレント)
笠木 私はダンスよりも体操を始めたのが先で、近所の子に影響されて2歳から始め、大学卒業まで続けました。その後、会社に勤めながら指導者として体操に関わっていたものの、まだ自分も十分に動けたこともあり、教えるだけでは物足りなさがあったんです。その時、中学生時代にやりたいと思っていたダンスへの想いが再び込み上げてきたんです。
矢部 ダンスといってもいろんなスタイルがありますよね。
笠木 私の場合、体操が土台にありましたから、途中でバク転を繰り出すような、アクロバット要素の多いダンスからスタートでしたね。実は、その後、大阪への転勤が決まりまして。体操の指導者としての活動を途中で投げ出したくなかったので、週1回夜行バスで東京に来てレッスンを行い、すぐに大阪に戻って仕事という生活を3年間続けていました。
矢部 3年も! 笠木代表がどれだけ本気か伝わるエピソードですね。3年経ち、それからどうなさったんですか?
笠木 東京に戻って本格的に指導に取り組もうと決意し、勤めを辞めました。江戸川区に越してきたのを機に、1階を体操スクール、2階をダンススタジオ、3階を生活の場にして、QUWANDSを立ちあげたんです。