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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

大切なジュエリーを修復 喜びを提供する宝石職人
ジュエリースタジオタケナカ 代表 竹中新司

 
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インタビュアー 嶋大輔(タレント)
 岐阜県岐阜市にある宝飾品店、ジュエリースタジオタケナカさんにお邪魔しています。竹中代表はこの業界で長く仕事をしておられるんですか?
 
竹中 はい。高校を卒業してすぐにジュエリーの卸業を手がける会社に就職しまして、28年ほどになりますね。
 
 まさにジュエリー業界一筋に経験を積んでこられたわけだ。その歩みもぜひ教えてください。
 
竹中 学生時代の私には将来的な目標がありませんでした。また、人前で話すことが苦手な性格だったため、人と接することの少ない職人的な仕事に就こうと考えていたんです。そんな時、両親が経営する飲食店に常連客として来てくださっていた、ジュエリー会社の社長さんに仕事を紹介していただきまして。それで、主に宝飾品の修理・修復をする職人として就職しました。
 
 なるほど。ご縁があってジュエリーの職人として歩むことになったんですね。
 
竹中 そうなんです。ただ、その頃の私は、仕事そのものは真面目に取り組んでいたものの、仕事に対する志は低かったと思います。そんな中で修理・修復の技術を磨き、2年ほど経験を積んだ頃、当時の社長に、そろそろお客様からオーダーメイドで依頼をいただいた案件をやってみないかと言われたんです。それで、サンゴを使ってスーツの袖に付けるカフスボタンを制作したところ、そのお客様から大変ご好評をいただきまして。
 
 それはすごい! 職人として大きな自信になったんじゃないですか?
 
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竹中 本当に、心から嬉しいと感じた瞬間でした。しかし、その反面、仕事に対して志の低い私がつくったもので、こんなに喜んでいただけていいのだろうかと、申し訳ない気持ちになったんです。そこで私は、本気でこの仕事に取り組もうと考えるようになりました。そして、仕事をしながら彫金の専門学校に通い、あらためて知識と技術を学び直したんです。
 
 お客さんの喜びの声を聞いたことがきっかけとなって決意を新たにしたわけですね。その後の歩みについても教えてください。  

竹中 学校を卒業後にしばらく仕事をこなしているうちに、職人としてさらなるステップアップを図りたいと考えるようになりました。そんな時、業界で名の知れたジュエリー職人の方に弟子入りする機会に恵まれたんです。そこで当時の会社を退職し、その方のもとで7年ほど修行に励みました。そして独立し、当店をオープンした次第です。
 
 
 
 

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