コロナ禍を機に軽貨物運送で独立を果たす

インタビュアー 八重樫東(元ボクシング世界王者)
垣原 もともと私は、埼玉県が地盤の大手ハウスメーカーに5年ほど勤務しておりまして、リフォーム部門で現場監督を務めていたんです。ただ、新型コロナの影響で商品の流通が止まって現場もストップし、完全に仕事がなくなってしまう状況で将来に不安を感じました。
八重樫 そこで逆に荷物の量が増え、忙しくなった軽貨物運送に転じたわけですね。
垣原 そうなんです。そもそも私の父がトラックの運転手の仕事をしていて、双子の弟も軽貨物の仕事をしていました。また、弟から「頑張ったぶんだけ稼げる」と聞いていたので仕事のイメージはつかめていたんです。やがて思い切ってこの業界に飛び込み、2020年に友人と弊社を創業しました。ちなみに、amicitiaとはラテン語で「友情」という意味なんです。
八重樫 垣原社長は30歳とお聞きしています。若さを生かした決断力と行動力は本当に見事ですね。実は、私も現役引退後は軽貨物運送の会社を経営しているんですよ。
垣原 はい、もちろん存じ上げています。どのあたりがエリアなのでしょう?
八重樫 横浜を中心にした神奈川県内と、東京都内でも少し配達しています。私が軽貨物の仕事を始めて感じたのは、ドライバーを募集すると以前の仕事でしくじったことがあるとか、なかなか組織になじめないという癖の強い方が多いということ。だから誰でも働きやすい環境づくりを心がけているんですよ。垣原社長はいかがでしょう?
垣原 私も、この仕事を始めてすぐ八重樫さんと同じことに気付きました。でも、やっぱり他の仕事がうまくいかなかった方でも、軽貨物運送で生き生きと働いてもらいたいですよね。そこで私は採用したドライバーにはとにかく現場に出てもらい、感想を聞いて、腰を据えて働くことができるかじっくりと話し合うことを大事にしています。