
インタビュアー 矢部美穂(タレント)
佐々木 私は学業修了後、焼き鳥屋、寿司屋、回転寿司のチェーン店を経て、ラーメンチェーンを展開する大手の会社に入りました。この頃は25歳で、1年後には店長になると誓いを立てて人の3倍は働いたんです。社内事情で時間がかかったものの、結果として1年半で目標を達成しました。そして、店の近くで働いていた妻の美知子と出会い、27歳で結婚しました。
矢部 勢いにのって、その後もバリバリと働かれたんでしょうね。
佐々木 はい。店長の後はエリアマネージャー、やがて福島県の本社でスーパーバイザー、店長教育、店舗支援、営業、内部監査、経営戦略、お客様相談室などさまざまな部署の業務を経験したんです。外食産業でのキャリアも35年が過ぎていました。ところが昨年、2020年11月に妻の病気が発覚してしまったんです・・・。ステージ4の肺がんで、いきなり余命2ヶ月と宣告された妻は、12月に亡くなってしまいました。
矢部 それはお悔やみを申し上げます・・・。あっという間の出来事で、ショックは相当のものだったとお察しします。
佐々木 もっと早く体調の悪さに気付き、病院へ行くことを勧めていれば・・・と罪の意識に苛まれました。それで、食事もできずやせ細り、肉体的にも精神的にもボロボロになってしまったんです。そんな私を、姉をはじめとした周囲の方々が支えてくれました。
矢部 苦しい時に誰かの支えがあると、本当に助かりますよね。その後、どのような経緯で今の仕事を始めることになったのでしょう。

矢部 え!? それは大変! 大丈夫だったのでしょうか。
佐々木 ええ、仏壇の真下で寝ていたのに遺影も花瓶も私の頭を避けてくれたんですよ。きっとこれは、妻が私を守ってくれたからに違いないと思いました。そして、彼女に生かされていると気付いたんです。それをきっかけに「もっと前向きに人生を歩もう」と決意し、7月に弊社を創業しました。