あくなき探求心で成長中
頼れる電気工事のプロ
野球と新聞奨学生の経験が今に生きている

松浦 そうなんですよ。当時はプロ野球選手を夢見て野球に明け暮れる日々を過ごしていました。私が通っていたのは高槻市内の強豪公立高校でして。もともと私は外野手だったものの、強肩を買われキャッチャーに転向したんです。試合では内野を守ることもありましたよ。
濱中 野球でも万能プレーヤーとしてご活躍されていたんですね! その後、プロ入りの夢はどうなりましたか?
松浦 実は、ある大学から野球で推薦入学のお誘いをいただいたんですよ。しかし、過酷な毎日を走り抜けた私は、ある種、燃え尽き症候群のような状態に陥ってしまったんです。なので、プロ野球の夢に終止符を打ち、その分勉学に力を入れることにしました。厳格な祖父からは「進学するなら自分の力で何とかしなさい」と言われていたので、新聞奨学生制度を使い、働きながら英語を学べる専門学校に進学しました。
濱中 努力されたんですね。新聞奨学生は、新聞社に学費を工面してもらう代わりに、新聞配達をしたり、集金業務や営業活動を行ったりするんですよね?

濱中 野球は忍耐力を伸ばしてくれるスポーツです。松浦社長が地道にコツコツと、幅広い技術を身に付けることができたのは、野球に打ち込んだ青春時代の賜物かもしれませんね。その後の社会人としてのご経歴も気になります。
松浦 社会人の第一歩は建設機械のリースや販売を手がける会社でした。そこで3年ほど営業に従事したのち、防犯カメラのメーカーに転職したんです。その会社でも一応、職種は営業だったものの、現場調査や機器のデモンストレーション、メンテナンスまで一任されていましてね。おかげで、防犯カメラに関する基礎知識や技術を身に付けることができたんです。