
インタビュアー 畑山隆則(元ボクシング世界王者)
小林 20歳のとき、父の仕事を手伝うようになったことがきっかけです。父は阪神高速道路の建設にも関わった一級建築士で、会社を経営していたんですよ。
畑山 一級建築士の息子さんということで、周囲からの期待も大きかったのではないですか?
小林 それが、特別扱いはおろか給料もほとんど出ない、まさに修業のような期間でした(笑)。任されたのは現場監督の仕事で、とにかく大変でしたね。「最高の仕事をしたい」と考える職人さんと、「予算は守って」と考える施主様、双方に納得していただけるように、水漏れの修繕工事ひとつでも何通りも見積書を作成したものです。
畑山 お話を聞いているだけでもどれだけ大変な仕事だったか伝わってきますよ。
小林 もっとも、いろんな現場に行かせてもらったおかげで、フットワークの軽さが身につきました。独立後、青森県や島根県など関西以外にも出張し、日本全国で工事を行っているのも当時の経験があったからです。