
インタビュアー 畑山隆則(元ボクシング世界王者)
西川 日本舞踊は、今も昔も9分9厘まで女性が占める世界ですけれど、私の実家は、曾祖父が義太夫、祖父は小唄、父は日本舞踊と、むしろ男のほうが芸事に勤しむところがありました。私が父・西川長寿の下で踊りの稽古を始めたのは、1970年、8歳のときです。当時、中村区から今の住所に越してきたばかりで、父の主宰でスタートした公演「長寿乃会」の第1回が私の初舞台となりました。
畑山 西川代表は現在58歳とのことですから、8歳から数えて、この2020年でちょうど50年続けてこられたことになりますね。
西川 早いものです。父の手ほどきを受け、長秀の名を許されたのが16歳でして、日本大学芸術学部の演劇学科日本舞踊コースを卒業後は、父と共に芸道一筋に励んできました。長寿乃会は今も継続していて、2002年の第31回からは父と私の共同主宰、2012年の第41回以降は私の単独主宰でやらせていただいています。父は2年前に他界しましたが、この先も会が永遠に続くことを願って、“長寿”の名をそのまま残しているんです。
畑山 名前と共に、思いも受け継がれていくのですね。例えば、お客さんの前で踊りを披露する機会はあるのでしょうか?

畑山 来年が待ち遠しいですね。こちらの稽古場をはじめ、県内に3つの教室があるそうですね?
西川 はい。この名東区高杜の稽古場は、父の代より50年近く使ってきたもので、舞台の一部分は、父の師匠から引き継いだ古木によってつくられています。このほか、中区の栄中日文化センターで毎週火曜の午前と午後、東海市でも毎週木曜に教室を開いています。