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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

火力発電所の安定稼働を
影で支える若き建設会社

 

1年にわたり経営者と毎週会食した東京時代

 
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駒田 中島社長は、建築業界にはどのような経緯で入られたのですか?
 
中島 高校を中退後、やりたいことを探している時期にとび職に出合いました。もともととび職にはきついイメージがあり、実は、最初は敬遠していたんです。でも、取り組んでみるとおもしろくて。
 
駒田 どういうところに魅力を感じたのか、ぜひお聞かせください。
 
中島 形には残らないけれど、この仕事がなければ形ができあがらないところですね。「やるからには負けたくない」と思い、真剣に打ち込みました。ただ、東日本大震災の影響で建設業を離れた時期もありました。それでも、「将来はこの仕事で身を立てたい」とずっと考えていましたね。お世話になっていた方に、「人生は一回きりだし、若いうちに東京で揉まれてきたらいい」とアドバイスをいただいたのは、ちょうどその頃です。すぐに上京を決めました。
 
駒田 お話をうかがっていると、巨人への入団が決まり、奈良から東京に出てきたときの気持ちを思い出します(笑)。上京後はどんなお仕事を?
 
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中島 不動産の仕事など、いろんな職を経験しましたね。一番刺激を受けたのは、とある大企業のトップセールスマンの方と知り合い、ビジネスや人生のいろはを学ばせていただいたことです。人見知りな性格の直し方をうかがった際は、「成功した人に、全力でぶつかってごらん」と、約1年間、毎週のように経営者の方を紹介していただきました。経営者の方との会食は、もちろん楽しい話ばかりではなく、「なんで君に人生観を語らなきゃいけないんだ」と水をかけられたこともあります(笑)。
 
駒田 中島社長の東京時代は、さらなる成長を目指して勉強の日々だったのですね。その中で多くの出会いに支えられ、時には叱られ、辛酸を舐める日もあったと。人見知りは克服できましたか?
 
中島 はい。世の中にはたくさんの人がいて、すべての人に会うことはできない。だったら、相手に合わせるのではなく、自分をもっと出そうと思えるようになりました。そして、そのセールスマンの方から「東京で成功したいなら、まずは地元でしっかりと地盤を固めるべきだ」と助言をいただき、2016年にいわき市に戻り、起業したんです。
 
駒田 成功するための努力を惜しまない中島社長の姿勢を感じます。多くの経営者と会った経験は、ゼネコンなど取引先と会うときにも活かされていそうですね。
 
中島 そうかもしれませんね。重役の方とお会いするときも、あまり緊張しません。だからなのか、ありがたいことに取引先の方々からもよく目にかけていただけています。
 
 
 
 

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