
インタビュアー 川﨑麻世(タレント)
戸澤 弊社は1905年に東京・神田の青果市場で、本わさび専門の卸問屋として創業しました。やがて2代目となる私の祖父が、誰でも気軽にわさびを味わえるようにと、日本で初めて加工わさびを開発したんです。この成功がなければ、わさびが広く使われるようにはならなかったでしょうね。
川﨑 僕は和食が大好きで、今朝もヒラメの刺身を食べてきたんですよ。刺身といえばわさびがつきもの。おいしいわさびを手軽に楽しめるようになったのは、先代方の努力のおかげだったんですね。それでは、戸澤代表が家業を継ぐまでの、歩みを教えていただけますか。

川﨑 そもそもアメリカとわさびというのは、どう結び付いたのか気になります。
戸澤 弊社では、1970年代からアメリカに加工わさびを輸出していたんですよ。そのうち、現地のお客様から「できるだけ近場の原料を使い、アメリカで製造したわさびを使いたい」というご要望をいただくようになりました。その流れが広まって、現在ではヨーロッパや中東をはじめ、世界中でわさびが使われるようになったんです。