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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

 
プロフィール 東京都出身。高校時代に現ジャパンアクションエンタープライズであるジャパンアクションクラブの養成所に通い、その後、大野剣友会に所属。スタントマンとして活動しつつ、アクション俳優を志した。25歳で先代である父のもとで働くようになってからは、精密部品製造の仕事一筋に。2012年の代表就任後は、専務を務める弟の貴行氏と共に、品質検査室の導入や若手の採用など、新たな取り組みを精力的に行っている。【ホームページ
 
 
 
原材料費の高騰や中国の台頭など、何かと暗い話題の多い日本の製造業。工場では、オートマチック化が進み、ボタン1つで次々と製品が生み出されている。職人同士が己の腕一本で勝負し、技を磨いてきた時代は終焉を迎えたのか――。そう落胆するのは早計だろう。苦しい経済状況でも、作業の自動化が普及しても、職人の心を持ち続ける人はいる。その1人が、株式会社サン・デンの田端和志代表取締役だ。
 
 
 

創業50年の重みと職人の心を学んだ修業

 
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インタビュアー 水野裕子(タレント)
水野 精密部品を製造されている株式会社サン・デンさん。長い歴史を持つ会社とうかがいました。
 
田端 今年2016年で47年目ですね。私が入社したのは22年前になります。先代である父から代表を引き継いだのは4年前のことです。
 
水野 入社されるまでは何をされていたのですか?
 
田端 アクション俳優として活動していました。でも、両親と「25歳まで」と約束していたんです。多少の未練はありましたが、腹をくくってとことんやろうと、父のもとで働き始めました。
 
水野 派手なアクションの世界から、緻密さが求められる世界へと転身されたんですね。
 
田端 先輩方にはよくしごかれましたねぇ(笑)。質問にも答えてもらえず、「この加工はできますか」と聞いても「できない」って言うんですよ。本当はできるのに(笑)。それが悔しくて、毎日遅くまで残って、必死で技術を磨きました。それで、だんだんと先輩方も認めてくださったんです。
 
水野 まさにザ・職人という世界ですね。
 
田端 精密さが重要な仕事ですから、生半可な気持ちでは務まりません。そのあたりを先輩方は知っていたので、より厳しくされたのだと思いますね。