デザインセンスを活かす
イベント&飲食店運営
東京での経験をもとに、地元・静岡県で起業
名高 唐澤代表は、社会人となってからすぐにアパレルメーカーに就職なさったんですか?
唐澤 はい。もともと小さい頃から絵を描くのが好きで服飾にも興味があったので、デザイナーになりたいと考えていました。でも実は、父親が建設業を営んでいまして、私も本来は家業を継ぐためにと建築系の専門学校に通っていたんです。しかし、どうしてもファッション業界を経験したかったので両親に頼み込み、専門学校を卒業後にアパレルメーカーに就職しました。
名高 なるほど。私の境遇とよく似ていますね。実は、私も父が工場を営んでいて、将来的に家業に入ることを見越して、高等専門学校と大学で機械工学を学んでいました。ところが、大学4年生の時にファッションモデルにスカウトされまして。その後さらに俳優としてもスカウトされて、悩みに悩んだ末に一度きりの人生で後悔はしたくないと思い、そのまま芸能界に飛び込んだんですよ。
唐澤 名高さんも同じような境遇だったんですね! でも、俳優の道を進むことに、ご両親から反対されませんでしたか?
名高 最初に打ち明けたときは、両親とも目が点になっていました(笑)。でも、両親は私が一度決めたことは絶対に曲げない性格であることを知っていたので、すぐに理解を得られましたね。唐澤代表の場合はいかがでしょう。
唐澤 私もほとんど一緒ですね。父は私が決めたことに対して口を挟まないという方針でした。母からは多少反対されたものの、すぐに両親とも応援してくれるようになったんです。
名高 それは良かったですね。しかし、10年以上も仕事を続けていた東京を離れ、地元に帰って飲食店を開いたのは、なぜだったのでしょうか?
唐澤 実は当時、父が体調を崩してしまいまして。それで母に実家に帰ってきてほしいと言われたんですよ。ただ、長く静岡を離れていたため、地元の友人たちとは疎遠になってしまっており、知り合いが一人もいない状態でした。そこで、さまざまな人と接することができ、地元地域の情報も集まるような仕事はないかと考えた結果が、飲食店の経営だったんです。
名高 なるほど。地元の方々とのコミュニケーションの場としての意味合いもあったわけですね。
唐澤 はい。もともと小さい頃から絵を描くのが好きで服飾にも興味があったので、デザイナーになりたいと考えていました。でも実は、父親が建設業を営んでいまして、私も本来は家業を継ぐためにと建築系の専門学校に通っていたんです。しかし、どうしてもファッション業界を経験したかったので両親に頼み込み、専門学校を卒業後にアパレルメーカーに就職しました。
名高 なるほど。私の境遇とよく似ていますね。実は、私も父が工場を営んでいて、将来的に家業に入ることを見越して、高等専門学校と大学で機械工学を学んでいました。ところが、大学4年生の時にファッションモデルにスカウトされまして。その後さらに俳優としてもスカウトされて、悩みに悩んだ末に一度きりの人生で後悔はしたくないと思い、そのまま芸能界に飛び込んだんですよ。
唐澤 名高さんも同じような境遇だったんですね! でも、俳優の道を進むことに、ご両親から反対されませんでしたか?
名高 最初に打ち明けたときは、両親とも目が点になっていました(笑)。でも、両親は私が一度決めたことは絶対に曲げない性格であることを知っていたので、すぐに理解を得られましたね。唐澤代表の場合はいかがでしょう。

名高 それは良かったですね。しかし、10年以上も仕事を続けていた東京を離れ、地元に帰って飲食店を開いたのは、なぜだったのでしょうか?
唐澤 実は当時、父が体調を崩してしまいまして。それで母に実家に帰ってきてほしいと言われたんですよ。ただ、長く静岡を離れていたため、地元の友人たちとは疎遠になってしまっており、知り合いが一人もいない状態でした。そこで、さまざまな人と接することができ、地元地域の情報も集まるような仕事はないかと考えた結果が、飲食店の経営だったんです。
名高 なるほど。地元の方々とのコミュニケーションの場としての意味合いもあったわけですね。