方向転換を経て、新体操コーチの道へ

インタビュアー 濱中治(野球解説者)
内田 子どもの頃、実家の近所にある体育館で新体操のスクールが開校され、友だちがみんな習いにいくので、私も流れで一緒に通うようになったんです。もともと新しい世界に飛び込むことが苦手だった私でも、その世界にどんどん惹かれ、続けていきました。
濱中 そこから新体操のコーチになろうと思われたわけですか。
内田 いいえ、全日本インカレや全日本新体操選手権への出場を経験したこともあったものの、当時は保健体育の先生を目指していました。でも採用枠が少なくて、その道は断念したんです。それで、先輩に誘われて新体操のコーチを始めたんです。
濱中 人に競技を教える立場には、選手とはまた違った難しさがあると思います。しかし内田代表は指導者として続けてこられた分、適性があったのでしょうね。
内田 深く考え過ぎない姿勢が逆によかったのかもしれません(笑)。そのまま続けて、2005年に当クラブを設立しました。水のように美しく、どんな変化にも柔軟に形を変えて、流れるように進んでいける選手を育てたい。そんな思いを込めて「アクア」と名付けたんです。