
インタビュアー 濱中治(野球解説者)
西田 ええ。もともと早く社会に出て仕事をしたいと思っていましたからね。この業界に入ったのは、21歳で知り合いに紹介してもらった板金塗装会社に就職したことがきっかけです。凄腕の職人さんがそろっていたためにいろんなスキルを学べましたし、何事もとことん追求する性分のおかげで、入社2年後には廃車寸前の車を一人でレストアできるほどの技術を身につけました。
濱中 すごい! となると西田代表は、独り立ちも早かったのでしょうね。
西田 おかげさまで25歳で独立できました。順調に事業も成長し、多いときは1ヶ月の総売上高が500万円を超えた時期もありましたね。最近は店舗にカフェを併設したり、スケートボードの製作を始めたりなど、持っている技術を活かしてさまざまなサービスをご提供しているところです。カフェの前にスケボー広場もつくったので、お子さんがスケボーを楽しんでいる間、ママさんはカフェでくつろぐことができるんですよ。
濱中 多彩なスキルを培ってきたからこそ、いろいろなものを製作できるんですね! ところで最近はこのコロナ禍で、店舗を持たずに飲食業を運営できるキッチンカーの需要が増えていると聞きます。西田代表のもとにも、製作の依頼がたくさん来ているのではないですか?
西田 そうですね。実はキッチンカーがあまり普及していなかった1980年代頃から、私がパーツ製作などを手がけていたこともあって、「キッチンカーをつくってほしい」というご依頼を数多くいただいていたんですよ。それが最近になってまた、濱中さんのおっしゃるようにコロナ禍で増えてきましたね。ただ、キッチンカーによる移動販売は簡単ではないんですよ。というのも自治体ごとに営業許可を取得しなければならないので、例えば和泉市地域を管轄する保健所から営業許可を得ていたとしても、大阪府内の他の市町郡では営業できなかったんです。
西田 そうですね。実はキッチンカーがあまり普及していなかった1980年代頃から、私がパーツ製作などを手がけていたこともあって、「キッチンカーをつくってほしい」というご依頼を数多くいただいていたんですよ。それが最近になってまた、濱中さんのおっしゃるようにコロナ禍で増えてきましたね。ただ、キッチンカーによる移動販売は簡単ではないんですよ。というのも自治体ごとに営業許可を取得しなければならないので、例えば和泉市地域を管轄する保健所から営業許可を得ていたとしても、大阪府内の他の市町郡では営業できなかったんです。