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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

若者の就農を増やす変革 農業を魅力ある職業に
株式会社中塚農園/なかつか農園 代表取締役 中塚良行

 
プロフィール 兵庫県出身。兼業農家の家庭で生まれ育ち、農業の手伝いを幼少期に経験。工業高校を卒業後、設計事務所に2年半勤務したのち、設計事務所を起業した。40歳で周囲に反対されながらも就農を決意し、2004年に中塚農園を創業。兼業農家として米づくりを開始する。その後、農業一本に絞るため設計の仕事から退き、2015年には会社の法人化を果たした。なかつか農園を運営し、酒米・山田錦を中心に生産している。【ホームページ
 
 
 
兵庫県加西市で米づくりに精を出す株式会社中塚農園。代表取締役の中塚良行氏は設計の仕事から40歳で農家に転身した異色の経歴の持ち主だ。中塚社長のミッションはおいしい米を消費者に届けること。また、増え続ける耕作放棄地を預かって、いつでも農業を復活できるように管理業務も手がけている。そのために必要な若者の就農をうながすため、企業としての魅力を発信し加西市の農業を支えようと斬新な取り組みを続けている。
 
 
 

周囲の反対を押し切り40歳で農業を始める

 
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インタビュアー 狩野恵輔(野球解説者)
狩野 兵庫県加西市で、なかつか農園を経営する株式会社中塚農園さんにお邪魔しましています。もともと中塚社長は農家のご出身なのでしょうか。
 
中塚 私の生家は小さい田んぼで米づくりをしている兼業農家でして、私も子どもの頃から手伝いをすることもありました。ただ、工業高校を卒業後、就職したのは設計事務所だったんです。工場設備の設計を手がけ、3年後には独立して自分の事務所を構えました。ただ、設計の仕事はとてもハードでして、深夜まで働き詰めの日々が続き、30代半ばから「このままではダメになる。自然の中で暮らし、農業で食べていきたい」と考えるようになったんです。
 
狩野 私の実家はこんにゃく農家で、朝早くから畑に出て泥だらけになって農作業をする父を見てきました。私も時々手伝うことがありまして、団らんの時間もなかなか取れない農業は本当に大変な仕事だと感じていたんです。中塚社長に迷いはなかったのでしょうか。
 
中塚 当然、何年も悩みましたし周囲の人たちからは大反対されました。それでも意を決した私は40歳のときに、設計の仕事も続けながら兼業農家として農業をスタートしたんです。ただ、就農後も厳しい状況は続きました。質の高い作物を出荷すれば十分に生活できると考えていたのですが、兼業農家で収穫できる量はたかがしれていますからね。
 
狩野 それでも、歯を食いしばって土と向き合う中塚社長の姿が目に浮かぶようですよ。
 
中塚 ありがとうございます。おかげさまで少しずつ田畑を増やし、設計の仕事も辞め専業農家になることができたのは2015年のことです。それまでは一人で農作業をしていたものの、若い人の面倒を見てほしいと紹介される機会が増えたこともあり、弊社を設立しました。
 
狩野 中塚社長の農家一本で行こうと決められた覚悟を感じますね。現在、栽培している作物の種類を教えてください。
 
中塚 弊社は兵庫県の名産でもある酒米・山田錦を中心に、黒大豆やアスパラガスを生産しています。このエリアの土地は米以外の栽培にあまり適していないので、山田錦のさらなる品質向上にも挑戦し、より高品質な酒米をより多く出荷したいと考えているところです。