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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW

ポルシェのブランドに息づく
黒坂流のグローバル思考

 
 
小説・映画・ドラマで一世を風靡した 『電車男』 を彷彿とさせるような恋愛エピソードまで披露してくれた黒坂氏。それはともかく、単純に自分が何をやりたいか、自分がどう生きていきたいかということをシンプルに突き詰めた結果が、本田技研への入社だったという。
 
 

30代になってから海外へ

 
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 本田技研に入ったはいいものの、私はクルマの免許を持っていませんでした。しかも英語も、学校で学ぶ程度の語学力はあったのですが、国際社会で通用するとは到底思えないほどのレベル。本当に大丈夫かと思われていたでしょうね、周囲には(笑)。
 免許は夏休みにまとめて教習を受けることにし、まずは語学力をなんとかしようと考えたんです。てっとり早く商業英語の本を買ってきては丸暗記。さらに、当時4万5000円だった給料の約半分の2万円をプライベートレッスンにつぎ込んだ。幸いにして、理解のある家内だったおかげで、なんとかうまくやりくりできました。あ、また嫁自慢になってしまいましたね、いけないいけない(笑)。
 ようやく海外で仕事ができるチャンスに恵まれたのは30代に入ってからでした。赴任地はオランダ。営業関連の責任者として現地へ派遣されたので、まさに私のマネジメントデビューと言えます。当時、現地駐在は基本的に3年と決まっていました。しかし、私はそれで帰ってくるつもりはありませんでした。正直言って、3年では実績を上げることは難しい。私が派遣される前にも歴代の駐在者はいましたが、基礎づくりで終わっているんじゃないでしょうか。そうなると自分も 「3年こなせばいい」 という考え方になってしまうので、実績を残さざるを得ない5年に延ばしたのです。それでももう1年延びて、結局6年も向こうにいることになりましたけどね(笑)。
 
 
 
5年の予定が6年に延びたのは、任期が終わりに近づく頃、現地の人から 「帰らないでくれ」 という声が出てきたからだという。理由は、黒坂氏が現地サイドに立って仕事をしてくれるので、オランダ人スタッフたちも仕事がしやすいということだった。黒坂氏が 「きっかけはどこに転がっているかわからない」 と語るように、ここから黒坂氏の人生は思いもよらない方向へ導かれ始める。
 
 

欧米企業と日本企業の違い

 
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 オランダ人は気性が激しい人たちでしたから、正直、ものすごくケンカもしました。怒鳴りあうなんて当たり前ですよ。ただ、今振り返ってみると、あのとき彼らとやりとりをしていたことによって自分がとても鍛えられていたのは事実。今はドイツ人と仕事をすることが多いですが、彼らと比べても、オランダ人の仕事に対する厳しさはかなりのものなんです。
 海外の会社のトップは常に戦略性を持って仕事をしています。基本的な命令体系はトップダウンですので、トップが戦略を常に考えておかないとすぐに立ち行かなくなる。それだけ自分自身を追い込んで、シャープな意思決定をしているわけです。だからポルシェの役員会などもすごく激しいやりとりがありますよ。たとえば私がプレゼンを始めたとするでしょう? すると社長がどんどん前へ出てきて「それは違う、あなたの考え方は間違っている」と言うわけです。日本にも最近は欧米的な考え方が進んだ企業もありますが、役員会でそんな激しいやりとりは珍しいのではないでしょうか。社長にそんなことを言われたら意気消沈してしまいかねない。でも海外は違うんです。ですので、反対にたとえ社長相手でも、相手が間違っていたら間違っていると指摘していきます。そうしたやりとりの中にいられることを自然だと思えるようになったのは、本田技研在籍中のオランダ時代の財産でしょうね。3年という任期ですぐに帰国していたら、そのことに気づいていなかったかもしれません。
 
 
 
ここで運命のいたずらか、ヘッドハンティングの声がかかり、当時としては珍しい決断を黒坂氏は下した。13年間在籍した本田技研を退社し、BMWへと移籍したのだ。その評価はオランダ時代の結果がもたらしたものであるのは言うまでもない。さらにミツワ自動車からのヘッドハンティングがあり、ポルシェを担当する取締役としての入社へと話が進んでいった。それから26年もの間、ポルシェは日本車を代表とする大衆車との闘いに巻き込まれていく。製品に地力があっても、マーケティングを無視すると途端に売れ行きが伸びなくなる。黒坂氏はその時代の変化をどう見ていたのか?
 
 

ポルシェの衰退、そして復活

 
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ポルシェ カレラカップ ジャパン用のレース車両と、黒坂氏愛用の「エアロ
コンセプト」のブリーフケース。本誌2010年3月号に登場のエアロコンセ
プトとポルシェは、マイスターの手掛ける本物どうし、よく似合う
 どうしてポルシェに落ち着いたか? そうですね、それはもう、目がくらむような美女に出会ったことと同じようなものじゃないでしょうか(笑)。 ポルシェは私にとって夢のクルマでした。そんな名車を生み出してきたメーカーに携われるというならば、断る理由はありません。
 そしてポルシェは、ある意味ではホンダと似ています。本田宗一郎という天才の技術がホンダにあるならば、ポルシェにはドクター・ポルシェという天才が練り上げた技術があった。これは今でも思うことなのですが、本来ならばいいクルマを作れば、マーケティングはいらないわけです。いいハードウェアを作れば必然的に売れる。そのシンプルな魅力がポルシェにはあったのです。実際にポルシェでは924が売れに売れていました。
 
 
 
 

 

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