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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

楽しく働ける環境で 急成長中の運送会社
株式会社Bonds 代表取締役 冨永隆志

 
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インタビュアー 濱中治(野球解説者)
濱中 関西を中心に一般貨物運送事業と物流コンサルティングを手がける株式会社Bonds(バンズ)さん。昨年、2019年9月に設立されたばかりの新しい会社だそうですね。冨永社長のこれまでの歩みをお聞かせください。
 
冨永 私は16歳から建設業で働き、23歳の時に転職して大手運送会社に入社しました。実は、若くして結婚したので、23歳ですでに子どもが3人いたんです。それで妻から「安定した職に就いてほしい」と言われ、給料がいいという理由でその会社を選んだんです。
 
濱中 ご家族のために転職をしてみてどうでしたか?
 
冨永 確かに給料はよかったものの、日々の睡眠時間が、数時間しか取れないような過酷な労働環境でした。ただ、働いてさえいれば、家族は守れますからね。子どもも増えていたので、もうやるしかないという気持ちでした。幸い、幼い頃から親に授かった体力と精神力がありましたし、炎天下で作業する建設業と比べたら、エアコンが効いたトラックで働けるのは、ありがたいことだと思えたんです。それで20年間お世話になった後、独立に至りました。
 
濱中 若い頃から、一家の大黒柱としてがむしゃらに働いてこられたとは、頭が下がります。でも、安定した職を手放して、独立されるのは勇気がいったのでは?
 
冨永 それが全然不安はありませんでした。これまでの20年間で培った経験があるから、起業したらうまくいくビジョンしか見えていなかったです。1日20時間働いても大丈夫な体を持っているのだから、そのままの勢いでいけば成功しないわけがないと思っていました。
 
濱中 なるほど。過酷な労働を続けてきた精神力が自信になっていたと。
 
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冨永 それに、ありがたいことに33歳で課長に昇進してからはすっかり現場から遠ざかり、物足りなさを感じるようになっていました。このまま続けていても、先が見えなくなって、正直、飽きてしまっていたんですね。その頃には、子どもたちも大きくなり家を出ていて経済的な負担は減っていましたし、せっかくの人生、自分のやりたいことをやりたいじゃないですか。それで3日ほど悩んで、周りに相談なしで勝手に辞めてしまったんです。
 
濱中 思い切りましたね! 家族にはどう言われたんですか。
 
冨永 付き合いが長いから私のことをよくわかっているので、「やりおったな」という感じの反応で、お咎めはなかったです(笑)。