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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

日本ホッケーを世界へと
導く思いで用具を販売

 

起業の思いに込められたホッケーへの感謝

 
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畑山 田中社長のホッケー歴はどれくらいになるのですか?
 
田中 もう30年以上になりますね。起業した今年2018年の3月までは公立高校の教員を務めながら、選手の指導に携わっていました。
 
畑山 教員として指導者の道を歩み続ける選択肢もあったかと思います。あえて、起業を選んだのはなぜでしょう。
 
田中 私を育ててくれたホッケー界へ、恩返しをしたいと思ったからです。私が初めてホッケーに触れたのは、中学1年生のときでした。ホッケーの名門・天理大学出身の先生が、同好会のような形で生徒を集めて指導してくださったんです。大会にも出場して、中学3年生のときには得点王になれましてね。そのおかげで、天理高校からスカウトされたんですよ。
 
畑山 運命的な競技との出合いから、ホッケーエリートの道が拓かれたわけですか!
 
田中 それが、高校に進学して早々に怪我をしてしまい、引退も考えました。でも、そのときの恩師に「辞めるのはいつでもできる。今辞めるか、とことんやりきって辞めるか。どっちを選ぶ?」と発破をかけていただき、頑張り抜くことができたんです。天理大学へも進学できました。当時の天理大学は、連勝街道真っ只中。リーグ戦350連勝を達成するような強豪で、勝ち続ける重圧に打ち克つのが大変だった思い出があります(笑)。
 
畑山 その経験は指導者としてとても活かせそうですね。指導活動はいつ頃から?
 
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田中 本格的なスタートは、奈良県代表チームの監督に就いた30歳のときです。その頃の奈良代表は国体でも勝てない時期が続いており、私も試行錯誤しながら指導して、3度の国体優勝を経験することができました。
 
畑山 そのあたりは教職の経験も活きたのでしょう。選手のモチベーションを上げるために必要なサポート、その強弱のつけ方が上手だったのだと思います。しかし、3度も優勝に導いたのなら、ホッケー界への恩返しは十分のように感じるのですが。
 
田中 いえ、競技環境を考えればまだまだですね。例えば、東京五輪を目指すような選手でも、働きながら練習している状況です。また、実業団チームの数も少なく、大学卒業後の進路面での選択肢も多くありません。そういった環境の改善にわずかでも貢献できればと起業したんです。
 
畑山 ボクシングの世界でも競技一本で生活できる選手はほんの一握りです。練習と仕事の両立の大変さは僕もよく知っているので、田中社長の起業理念にはとても共感できます。
 
 
 
 

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