B+ 仕事を楽しむためのWebマガジン

経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

ヒーローの魂を胸に 
困難をやっつける

 

夢を目指した熱い気持ちを今も持ち続ける

 
glay-s1top.jpg
タージン 自らリスクを負ってでも地元のために行動されるとは、非常に熱い志をお持ちだ! その溢れんばかりの熱気が、いったいどこから湧き出ているのかをお聞きしたいです。幼少期は、どのような子どもだったのですか?
 
平林 アクションスターや仮面ライダーが大好きで、小学校では休み時間に教室の隅でジャッキー・チェンごっこに没頭していましたね。卒業文集には「世界的アクションスターになりたい!」と綴るほど、熱狂的に憧れていました。もっとも、高校卒業後は素直に就職しました(笑)。地元の不動産会社で営業の経験を積みまして、勢いだけだったものの、お客様や上司に恵まれ、入社5ヶ月目には、業績トップ賞をいただくこともできました。
 
タージン その頃から、不動産の営業として高い才覚を示されていたのですね! その後も気になります。
 
平林 仲間に恵まれ、仕事にやりがいも感じていましたが、何か腑に落ちない日々が続きました。どれだけ仕事に励んでも、小学生のとき、アクションスターを夢見ていたあの頃に感じた高揚感を超えることができなかったのです。自分が本当は何をしたいのか、自問自答を続けていました。そんなある日、ブルース・リーの名言「Don’t think. FEEL!」が脳裏に閃き、アクションスターを目指そうと決意したのです。お世話になった会社を辞め、役者を目指すための資金を建設現場のアルバイトで工面した後、大阪へ出て、アクション俳優の倉田保昭さんが運営していた倉田アクションクラブに入りました。
 
glay-s1top.jpg
タージン 夢を追うことを諦める人が多い中、気持ち良いほどまっすぐな行動力ですね。ただアクションの世界ですから相当苦労されたんじゃないですか?
 
平林 非常に厳しい世界でしたが、自分で選んだ道です。大阪で4年間猛特訓を積み、その間はエキストラの撮影やスタントに励むだけでなく、芸の肥やしにと多くのアルバイトをしていました。稽古も仕事も遊びも全力で取り組んでいましたね。やがて単身上京し、フリーの役者として活動を開始したものの、戦隊ヒーローのイベントの舞台稽古中に誤って転落し、その怪我の影響で右耳が聴こえなくなりました。生まれつき右目がほとんど見えないこともあり、スタントを続けるのが怖くなり、限界を感じました。その後、結婚が1つの区切りとなり、アクションスターの夢をそっと胸にしまい、3ヶ月猛勉強をして、不動産国家資格を3つ取得しました。家族のためにも大手の不動産会社に就職して、この業界で生きていく決意をしたのです。