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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

 
プロフィール 滋賀県出身。プログラマーにあこがれ、20歳のときにIT業界に入る。時代と共にパソコンやインターネットが普及し、業界も目まぐるしく変化する中、新技術を次々と吸収して知識と経験を培った。2000年、滋賀県で独立。ソフトウェア開発の受託事業を中心に請負う。その後、千葉県に移転しシステム開発や、ネットサービス事業に軸足を移動。法人化も果たし、2016年4月には東京・渋谷に拠点を移した。【ホームページ
 
 
 
IT業界歴30年。ベテランエンジニアとその仲間が集まったのが、東京・渋谷を拠点にするアイブリ株式会社だ。代表取締役の橋井芳高氏は「ITとは、人と人とのコミュニケーションを充実させるもの」と語り、社内でも情報共有を徹底するなど、スタッフのつながりを優先。信頼する仲間と共にシステム構築やアプリ開発に挑んでいる。その姿勢から生まれるサービスが、全ての人々をつなげることに喜びを感じながら──。
 
 
 

紙テープの時代からIT業界一筋30年

 
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インタビュアー 矢部みほ(タレント)
矢部 東京都渋谷区に拠点を構え、業務システムの開発・構築やクラウドサービスなど、多彩な事業を手がけるアイブリさん。橋井社長は、IT業界一筋30年のベテランだとお聞きしました。まずは、業界入りしたきっかけを教えていただけますか。
 
橋井 私は2018年で51歳です。ITの仕事を始めたのは20歳のときなので、確かにもう30年も経つんですね(笑)。この業界に興味を持ったのは、これからコンピューターの時代が来ると確信していたからですよ。プログラマーになりたくて、特に経験がなかったにも関わらず、思いきって飛び込みました。
 
矢部 当時のコンピューターは、どんなものだったのか想像がつきません。
 
橋井 データを記録する媒体に、まだ紙テープや磁気テープが使われていましたね。例えば銀行のATMも、裏ではオペレーターが3交代でお金の出入りを監視して、テープがいっぱいになると人の手で交換していたんです。私もその仕事を担当しましたよ。本当にやりたかったのはプログラミングなので、つらかったですね。
 
矢部 いずれはプログラマーになると、心の中では決意を固めていたんですね。大きな転機になった出来事などはありますか。
 
橋井 それはやはりアメリカでWebの技術が開発され、やがてWindows95が発売されるなど、パソコンやインターネットが爆発的に普及し始めたことですね。インターネットも最初のうちは電話回線で接続するものだったので、混雑するとつながらないこともありました。でも、とても衝撃的なテクノロジーだったんですよ。私の20代は、そうした新しい技術を次々と吸収しながら過ぎていきました。