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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

 
プロフィール 埼玉県出身。子どもの頃から成功したい気持ちが強く、中学生でバンドを結成し、ライブハウスでの音楽活動に勤しむ。23歳で結婚して子どもが生まれたのを機に、音楽を辞めて電気工事会社に入社。その後、妻の父が病床に伏したことで経営する建設会社の後を継ごうとしたが廃業することになったため、自身でユウキテクノス(株)を新たに設立した。業績は好調で、現在は12名の社員を抱える。【ホームページ
 
 
 
電気工事会社、ユウキテクノス株式会社は、2017年現在で創業22年目を迎えた。代表取締役の竹内雅人氏は、たった1人から会社を始め、コツコツと地道に顧客の希望に応える理念で取り組み、社員12名の会社に育て上げてきた。曰く、前線での活動から社員のサポートに徹するようになってさらに業績がぐんと伸びたという。「人から必要とされる人生を」と話す竹内社長の仕事観、人生観に迫った。
 
 
 

音楽から電気工事の道へ

 
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インタビュアー 矢部みほ(タレント)
矢部 埼玉県さいたま市で住宅や商業施設の電気設備・空調設備・弱電設備工事などをされている、ユウキテクノスさん。1995年の創業から、20年以上になるそうですね。安定して事業を継続できる秘訣はどこにあるのか、今日はじっくり教えていただきたいと思っています。最初に、竹内社長の歩みをお聞かせいただけますか。
 
竹内 私は、このさいたま市の旧浦和市出身です。父は会社勤めだったものの家はとても貧しく、子どもの頃から「成功したい」という気持ちが強かったですね。それで中学生になるとバンドを組んで、自分で作詞作曲もしていました。
 
矢部 プロを目指して活動していたのですか?
 
竹内 はい。当時は渋谷のライブハウスにもよく出ていました。でも、結局プロになることはできませんでしたね。23歳のときに、中学生の頃から交際していた今の妻と結婚し、すぐに子どもが生まれたので、「ちゃんと生活しなければ」と音楽の道は諦めました。
 
矢部 でもその決断があったからこそ、今があるわけですよね。
 
竹内 その通りですね。もともと親戚が電気工事会社を経営していて、私も電気をいじるのが大好きだったんですよ。だから音楽をやめたとき、「仕事にするなら電気だ!」と思って地元の電気会社に勤めたんです。
 
矢部 成功したいというお気持ちが強かった竹内社長ですから、やはり独立願望も早くからあったのでしょうか。
 
竹内 いや、それはちょっと違って、勤めていた頃はいつか独立しようとか、社長になろうという気はまったくありませんでした。実は、建設会社の社長である妻の父が、体調を悪くして余命宣告を受けて・・・。それなら自分が義理の兄と後を引き継ごうと決心し、勤務先を退社しました。ところが、廃業にする方向に進んでいたんです。だからといって、送別会まで開いてくれた前の会社には戻れない。それで仕方なく起業したのが、独立の理由なんです(笑)。しかも、仕事をいただける話が5社ありましたので連絡すると、今はお抱えの業者がいるのでと断られ、結局何もないところから始まりました。