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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

浪花のエンターテイナー 
感動を提供する不動産店

 

夢で背中を押してくれた熱き親心

 
山本 すごいお父様ですね(笑)。独立されたのはどんなきっかけで?
 
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岩田 父が引退して2年目の頃です。父が何か物足りなさを感じていたときに、再び一緒に働くことが親孝行ではないかと思ったんですよ。そう話すと父も心から喜んでくれて、「この日のために」と私が完済した1000万円を出してくれました。後から母に聞いた話では、さらに私を驚かそうと、仕事で使えるようにパソコン教室にも通いだしていたそうです。
 
山本 お父様が1000万円の借用書をつくっていたのは、この日のためだったんですね! 岩田社長の美談(笑)をお父様がさらに超えてきたわけだ。やっぱりすごいお父様ですね。後からお母様に聞いた、というのはどういうことですか?
 
岩田 実は、勤務先に会社を辞めると伝えると、「どうしても」と社長に慰留され、3年間職場に残ることにしたんです。一から育ててもらった恩義もありますしね。父も「社長直々に引き止めてもらえるなんてありがたい。仁義を貫くのも大事だ」と笑っていたものの、人知れず落ち込んでいたようで・・・。残念ながら、その数ヶ月後に事故で他界してしまったんです。それで母もかなり気落ちしてしまいました。「会社を辞めてそばにいようか」と、母に話した日の夜、父と一緒にテレビを見て笑っている夢を見たんです。同じ方向を向いて一緒に笑ってくれている姿を見て、父も応援してくれている証だと考え、再び独立を決意しました。そして、母のマンションを購入後、その近くで事務所を探していると、住所が3-3の物件が空いていたこと、また弊社の宅地建物取引業免許の取得年月日が母の誕生日だったこともあり「次はお前がお母さんのそばに」という父からの伝言のような気がして、運命を感じました。
 
山本 遠い場所に行っても岩田社長の考えを応援するよ、というお父様の思いなのでしょうね。
 
岩田 そうだと思っています。前職の社長も私の決意を汲んで、快く送り出してくださいました。
 
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山本 一度独立が遠のいたことで決意が強まったのではないでしょうか。私も大学時代、バレーボールから離れた時期がありました。距離を置くことで気付く“思い”もあるんですよね。
 
岩田 そうですよね。その意味でも、社長や周りの方、そして父には改めて感謝ですね。「起業する」という言葉を撤回しても非難せず、私の選択を尊重してくれました。
 
山本 そんなお父様から受け継いでいるものがあれば、ぜひ教えてください。
 
岩田 人としての筋道を通すこと、義理人情を重んじることですね。あと、「お客様を喜ばせたい」というエンターテイナーの精神も、父譲りなのかもしれません。
 
山本 1000万円を起業まで温めていたお話を聞いて、お父様のエンターテイナー精神を感じましたよ。その心はしっかりと岩田社長に受け継がれているのですね。