
インタビュアー 松村雄基(俳優)
大塚 はい、19歳からこの仕事に就いています。地元の埼玉県から上京して練馬区にあった理容店で修業し、6年間勤めました。当初は技術が未熟であったことに加え、内気でお客様とのコミュニケーションも苦手だった私は、オーナーやお客様に叱られることも多く、この仕事をおもしろいと感じたことは少なかったように思います。
松村 それでも、業界一筋でおられるところを見ると、どこかのタイミングで気持ちが「おもしろい」に転じたわけでしょう?
大塚 練馬の店を辞め、世田谷区の理容店に移ってからでしょうか。そちらのオーナーはほめ上手で、気をよくした私の技術はめきめきと上達。それに伴ってお客様とのコミュニケーションもうまく図れるようになりました。すると、私を指名してくださるお客様も増えて店も繁盛し、心の底から仕事がおもしろいと感じるようになったのです。
松村 それはすごい! その後、地元に戻って店を開かれたのはおいくつの頃ですか?
大塚 32歳のときです。両親がいたので戻ってきたものの、東京での暮らしが長かったので、正直なところ不安もありましたね。
松村 東京の激戦区でお仕事をされていた凄腕の理容師さんに、どのような不安があったのか気になります。

松村 なるほど、都市部で流行っているからといって、それが全国どこでも求められるわけではないと。でも、シェービングは全国どこでも共通なのでは?
大塚 おっしゃる通りですが、シェービングは理容師の業務の中で最も高度な技術が求められるものでしてね。何しろ、肌の弱い方もいれば、ヒゲの濃い方もいます。お客様の肌に直接刃物を当てるわけですから、ごまかしがききませんし、お客様との信頼関係が大切なんです。私も心底自信を持てるようになったのは、シェービング中に心地よさと安心で寝てしまう人が増えた、この10年ほどかもしれませんね。