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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

 
プロフィール 東京都出身。大学を卒業後、アメリカに1年間留学。現地で障がい者が明るく過ごしている様子を目にする。帰国後は移動販売の仕事をスタート。東京ドーム内に移動販売の店を出すも、働き詰めの日々で顔面麻痺を患う。その体験を機にヘルパー2級の資格を取り福祉の道へ。高齢者向けのホームや障がい者のための福祉作業所での勤務を経て、(株)Light houseの代表取締役となり、2016年12月に放課後等デイサービス ライトハウスをオープン。【ホームページ
 
 
 
東京都豊島区にある「放課後等デイサービスライトハウス」は、障がいのある子どもの療育を通して、本人やその家族を支援する施設だ。株式会社Light house(ライトハウス)の後藤明弘代表取締役は、かつて原因不明の顔面麻痺に襲われた経験を機に福祉の世界に入り、長年必要性を感じていたことから、同施設をオープン。障がい児と同じ目線で接することで、穏やかな時間を過ごしてほしいという、後藤社長の思いや方針をうかがった。
 
 
 

顔面麻痺を患ったことを機に福祉の世界へ

 
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インタビュアー 川上麻衣子(女優)
川上 東京都豊島区の「放課後等デイサービス ライトハウス」さんを訪問しています。こちらは昨年2016年12月にオープンしたばかりだそうですね。おめでとうございます! 後藤社長の歩みや、オープンされた経緯をお聞かせくださいますか。
 
後藤 私は大学の教育学部を卒業後、アルバイトでお金を貯めてロサンゼルスに留学しました。日本と比べて現地では、障がいを持つ人たちが明るい表情で暮らしていたのが印象的でしたね。帰国後は、全国の小学校に日時計を設置するという少し変わった仕事など、様々な職業を経験。30歳の時には、友人と一緒に渋谷や原宿でポップコーンやシェイブアイスの移動販売を始めました。
 
川上 それはまた、ユニークなご経歴ですね。移動販売はいかがでしたか。
 
後藤 3年後には、東京ドームにシェイブアイスの店を出すまでになっていました。でも1日2時間の睡眠で働き続けて半年が経った時には、顔の右半分が麻痺してしまったんです。病院に入院しても原因不明だと言われて、薬も全く効きませんでした。私は次第に人と会うのを避けるようになり、顔が治らないことも他人のせいにするようになっていきました。
 
川上 そういう気持ちが強くなると、悪循環でますます症状が悪化してしまいますよね。
 
後藤 おっしゃる通りで、私も「このままではダメだ」と思って気持ちを切り替え、あえて人前に出る販売の仕事を始めました。すると、3年ほどで顔面麻痺が治ったんです。その時の経験から、ホームヘルパー2級の資格を取って福祉の世界に入りました。最初は高齢者向けのグループホームで働いていたのですが、しばらくして施設長に「あなたは障がい者向け施設のほうが向いている」とアドバイスされたことから、今度は福祉作業所に転職したんです。