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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

 
プロフィール 埼玉県出身。21歳の頃から、オフロードバイクのレース活動のために様々な仕事に従事。その1つに自動車メーカーでのゴミ収集車のメンテナンスがあり、約9年間勤務したが、当時は辞めたいと思っていた。そんな中、娘の不登校を機に、世界に目を向けるべく東南アジアへ。現地の厳しい環境を目の当たりにし、タイ・ミャンマー国境の医療施設に100万円の寄付を目標にゴミ収集車の修理で起業。次第にやりがいを感じるように。今もアジアの各地を旅し続けている現役オフロードライダーである。【フェイスブック
 
 
 
私たちの日々の暮らしを縁の下で支えてくれるゴミ収集車。ゴミを収集中の車両が故障すると、予備の車がない業者は大きな痛手を被ることになる。そんな場合に電話1本で駆け付けて修理をしてくれる整備会社――それが東京都西多摩郡の株式会社吉沢車輌だ。代表取締役の吉沢康弘氏は、当初「早く辞めたい」と思っていたこの仕事に今では喜びを感じている。そのきっかけは東南アジアでの出会いがもたらしてくれたという。
 
 
 

オフロードバイクのレーサーとして活躍

 
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インタビュアー 宮地真緒(女優)
宮地 埼玉県蓮田市で、ゴミ収集車のメンテナンスという、ちょっと珍しい事業を手がけていらっしゃる吉沢車輌さん。吉沢社長が起業するまでの歩みをお聞かせください。
 
吉沢 私はもともとオフロードバイクのレーサーで、実はあるバイクメーカーの契約ライダーとして、全日本選手権で走っていた時期もあります。ただ、レースに出場する際の費用は全て自分持ち。20歳の頃から自動車やバイクの修理など10種類以上の仕事をしてきました。2007年頃からは大手自動車メーカーでゴミ収集車のメンテナンスに従事し、1年半前の2015年5月に起業したんです。
 
宮地 では、いずれはこの事業で独立してやろう! という意欲をお持ちだったんですね。
 
吉沢 それが、そういうわけでもなく、正直、在職中は「早くこの仕事を辞めたい」と考えてばかりいました。そんな私の気持ちを変えてくれたのは、娘の存在と東南アジアでの出会いがあったからです。実は、娘が中2の頃から不登校になってしまったんですよ。何があったのか聞いても教えてくれないし、「とにかく学校に行きたくない」という返事しかもらえない時期が続いたんです。私はモトクロスをしている自分を見せて、「大人はこんなに楽しく生きられるんだぞ」とアピールしてきたつもりだったのに、実は家族を全く見ていなかったことに気付き、ショックを受けました。