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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

 
プロフィール 兵庫県出身。亡父が竹岡歯科技工所を開設し、幼い頃から働く姿を見て育つ。学校卒業後は社会勉強のために様々なアルバイトを経験。その中で、ものづくりが好きだと気付き、歯科技工士の養成学校に進学した。卒業後、2ヶ所の歯科技工所勤務を経て、家業を手伝うようになり、30歳で経営を引き継ぐ。後にセラミックに特化し、屋号も変更した。営業に出る際には、愛車の「MAZDA ロードスター」が活躍する。【ホームページ
 
 
 
虫歯を治療する歯科医師のバックヤードには、それを支えるスタッフがいる。歯科技工士もその一員。失った歯を修復、作成する技術者だ。しかし、技術力の高さや担う責任の重さに反比例して、歯科技工士の地位や待遇は高くない。竹岡セラミックアートの竹岡寛之代表は、「患者さんの健康と笑顔を守るためにも、業界の担い手を増やすためにも、歯科技工士自身が業界の改善に努める必要がある」と話す。
 
 
 

幼い頃から父の仕事を見て育つ

 
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インタビュアー 矢部美穂(タレント)
矢部 こちらの歯科技工所は竹岡代表のお父様が創業されたそうですね。
 
竹岡 はい。私が生まれる前から営んでいたと聞いています。幼い頃から、働く父の背中を見て育ちました。
 
矢部 では、先代に憧れて歯科技工士を目指されたと。
 
竹岡 いえ、学生時代は継ごうと思っていなかったんです。実際、高校卒業時には進路に迷い、あえて社会勉強のためにフリーターを選んだほど。けれども1年間、様々な仕事を見る中で「私はものづくりが好きなんだ」と気付き、ようやく歯科技工士の養成学校に通い始めました。
 
矢部 なるほど。養成学校卒業後は、先代の仕事を手伝われたのですか?
 
竹岡 いいえ、外に出て修業をしようと、他の技工所で働きました。ところが勤めるうち、歯科技工士の仕事そのものが嫌になってしまい(笑)、近くにある製粉工場で働くようになったんです。
 
矢部 ええっ、異業種に転職された?
 
竹岡 はい。歯科技工の業界では、残念ながら低賃金・長時間労働が当たり前になっています。特に近年は、激しい価格競争によって歯科技工士の報酬が低下しているんです。また、人口が減少して歯科医院の患者数が減っているため、中には短期間での治療を前面に打ち出し、患者数獲得を狙う歯科医院もあります。そのため、歯科技工士も短納期での納品を余儀なくされているのが実情です。
 
 
 
 

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