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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

無限の可能性を信じて
夢を実現するコーチング

 

労働組合役員としてコーチングを習得

 
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川上 今の明るい藤由代表からは、想像できない精神状態になっていたんですね。どのようにして本来の自分を取り戻したのでしょう。
 
藤由 毎日、ノートに文章を綴りました。やがてそれは小説を書くことに変わりました。創造的活動をすることでなんとか自分を保っていたんです。その後、新会社設立部門の公募に応募し、採用されて異動しました。そこで初めて会社と仕事の全体像が見え、働くことが俄然おもしろくなりました。深夜まで働いても何の苦もありませんでした。
 
川上 ずいぶん振れ幅の大きな人生ですね(笑)。
 
藤由 当時は一社員であるにもかかわらず、会社と自分が一体であるという錯覚に陥るほどでした(笑)。それも束の間、新会社は設立と同時に予期せぬ大赤字に見舞われました。社員の間に不満が高まっていきました。当時の私は、会社におかしな点があれば歯に衣着せずにものを言っていました。それが目立ったのか、職場の投票で、労働組合の分科会長に選ばれました。職場の意見をまとめて、組合に伝える仕事です。その後、次期中央執行委員長から中央書記長職を引き受けてくれと直々に要請されました。この役職は会社を休職して、組合の専従職員として働くものです。普通の人なら躊躇するような話ですが、即答しました。「やらせてください」と。それから中央書記長を4年、次いで中央執行委員長を4年。合計8年間、組合員からの相談に乗ってきました。
 
川上 組合専従で働くのって、とても大変そうです。
 
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藤由 毎日、会社への不平不満、愚痴を聞かされますからね(笑)。当初、経験のない私は、自己流で相談に乗っていました。ところが他の会社の労働組合役員は、キャリアアドバイザーとか、産業心理カウンセラーとか、様々な資格を持って相談に応じているのです。これではいけないと発憤し、相談技術をきちんと勉強しようと心に決めました。そんな時に出会ったのが、北京五輪金メダリストを生んだ平本あきおさんのコーチングでした。早速、平本さんのスクールでトレーニングを開始しました。
 
川上 具体的に、どんなトレーニングをしたんですか。
 
藤由 スクール在学中に、100人の方をコーチングするという課題に取り組みました。94人まで来たところであの東日本大震災が発生。100人達成は絶望的になりました。しかし震災後でも6人の方がコーチングを受けてくれました。震災のショックを和らげることができ、かえって感謝されて100人という目標も達成できました。以後、組合活動にコーチングを取り入れていきました。以前よりも組合員の気持ちに寄り添い、具体的な悩みに対して本人の中から答えを導き出すようなアプローチに変わりました。そんな中でミャンマー人難民の皆さんと知り合い、ミャンマーに心引かれるようになりました。委員長を退任して職場に戻る日が近づくにつれて、「人の応援を仕事にし、本も書き、ミャンマーに関わる仕事をしたい!」という気持ちになっていきました。